2020-01-01から1年間の記事一覧

来年度は🍀神様頼りだ

来年度は勝負強さを発揮しなければなりません。何故ならば、一日一日人生の活動時間が減り続けるからです。今年は運気上昇を祈願して、占い師に占ってもらった。またインターネットを駆使して運気上昇間違いなしの屋号も発見した。また姓名判断を駆使して、…

2020年も終わりであります

令和1年に御代替わりがあり、いきなり救急救命士により病院に担ぎ込まれた。 そして産まれて初めて、医師から手術の宣告を受けた。担ぎ込まれた病院は、民間団体病院であり国立信仰豊富な自分自身としては手術に踏み切る事は出来なかった。 そして日赤病院…

後白河法王様と木曽義仲が合戦する

平清盛の余りの横暴な振る舞いに対して、後白河上皇陛下がキレた。後白河上皇陛下は、諸国の源氏の一門衆に対して平家討伐の命令書を発行された。この命令書を配っては、源氏一門衆の謀反を唆した源氏がいた その源氏は源行家と云う武士である。この源行家は…

運が開ける

人間一人一人運命を持ち合わせていると私自身は想う🐰。私自身は、肥前国は佐賀荘の地頭職を拝命して赴任した龍造寺家の一門衆の一人であります。江戸時代の龍造寺家の人々は、佐賀藩は鍋島家の者となり我が龍造寺家一門衆は全国各地に散り散りになった。 其れ…

江戸時代に旧領に返り咲いた大名

立花宗茂と云う武士は、元々は豊後国の守護職大友氏の家臣筋である。豊後国の大友家は、元々は相模国の御家人である。しかし源頼朝の命令書に従い、守護職大名として九州は豊後国に赴任した。関東地方の武士団たちは、土地に対する愛着心がとても強い。大友…

毛利元就

毛利元就の先祖は、鎌倉幕府に奉職した京都の公家出身である貴族の中では生え抜きの公家ではなく、学問を生業とする下級貴族の公家である。源頼朝に加勢した関東地方の武士団たちは、軍事的には秀でていたが学問的や文化的には何の力もなかった。源頼朝は、…

青春18切符

青春18切符を使用して、良く全国各地の城巡りをする。関東地方に住んでいるために九州や四国や中国地方の城巡りはとても疲れる。東京駅を始発列車で出発する。まずは熱海駅まで行く。次の列車は、静岡駅行が多い次は浜松駅行。次は豊橋駅行。熱海駅から愛…

先祖江戸幕府に訴える

龍造寺家は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公から肥前国は佐賀荘龍造寺村の地頭職に任命される。肥前国の守護職には、武藤少弐氏が指名された。武藤少弐氏は、朝廷の役人でもある太宰府少弐と云う官職にも任命されていた。龍造寺家も、元々は藤原家であり守護職の…

戦国武将も寒い

現代人の私自身は、マイナス➖8℃で寒い寒いとう鳴っているしかし私自身も、東京都江戸川区で若い頃新聞配達少年であった!皆様方は、新聞配達少年少女は寒い日々の活動をしていると想っているでしょうか?しかし都市部での新聞配達少年少女は、基本的には自転…

未体験ゾーン

自分自身は寒いのが苦手分野であります。今日の気温がマイナス➖8℃であります。自分自身が生れ育った地域では冬場下がりに下ってもマイナス➖1℃で収まります。しかし今住んでいる所は、冬場下がりに下ってマイナス➖8℃は当たり前です。暖房器具は、敷毛布だ…

松倉重政

松倉重政と云えば、江戸幕府を開いた徳川家康に気に入られたいために自分自身の領地の石高を多く申請した。石高を多く申請したために、江戸幕府に納める上納金が八万石相当分に跳ね上った。普通の大名ならば、江戸幕府に対して石高を低めに報告する。石高を…

佐々木小次郎敗れたり!

佐々木小次郎は、宮本武蔵に劣る事が無い剣術家の達人です。佐々木小次郎は、鎌倉幕府に活躍した近江国の守護職佐々木家の子孫。佐々木小次郎も宮本武蔵と同じような、各地を放浪している武芸者だった。佐々木小次郎は、小倉藩の小笠原家の剣術指南役に抜擢…

宮本武蔵

宮本武蔵と云えば、剣術の達人であります。元々は備前の国の出身であり、父親も宮本武蔵ほどではなかったが剣術の達人でありました。宮本武蔵も、幼い頃から厳しい父親にこき使われて剣術の腕を上げていった。宮本武蔵の母親は、父親の暴力的な仕打に我慢の…

徳川家康

徳川家康は、江戸幕府を開く。幕府を開くには、朝廷から征夷大将軍に任命して貰う必要性がある。征夷大将軍は、朝廷に刃向かう団体を討伐するために任命される官職である。坂上田村麻呂に始まり、鎌倉幕府を開いた源頼朝。室町幕府を開いた足利尊氏。此れら…

太平記に登場するバサラ大名

バサラ大名とは、世の中の決まり事に囚われない。また誰もが嫌がる最先端技術の衣装や被り物で人々を驚かす事をわざとしてみせる。戦国時代には、歌舞伎者とも名指しされた。戦国時代の歌舞伎者には、前田慶次や前田利家や伊達政宗などがいた。そして私が一…

天下人豊臣秀吉

天下人豊臣秀吉も、実力者ではあったが占いにも精を出していた。安倍清明の子孫の陰陽師をスカウトして、豊臣秀吉専門の占い師として高い報酬額で雇い入れていた。天下人豊臣秀吉も、最初は日吉丸次にはただの猿次には木下藤吉郎秀吉!次には豊臣秀吉と呼び名…

平敦盛

日本国の三代合戦には、関ヶ原合戦と応仁の乱と源平合戦があります。応仁の乱は、室町幕府の管領職細川家と四職家の山名宗全を総大将に担ぎ各地の守護大名が東西に分かれた合戦です。また源平合戦では、武家の棟梁各の源氏と平家が日本国の武家を二分する合…

平清盛の祖父

平清盛は、武家階級では初めての政権を打立てた。官職も昇り大政大臣従一位と云う最高の位に就任した。平家は軍事貴族の一員であり、本来的には大政大臣に就任する事はおかしい!大政大臣は、内大臣や右大臣や左大臣の上位であり武官は最高職である。平家は武…

源行家

源行家と云う名前は、余り聞き慣れい人物であります。しかし源平合戦を引き起こした原因を作りだした重要事項人物であります。この源行家は、源氏の氏の長者である源義朝の末っ子の弟である。源義朝の息子は、鎌倉幕府を創設した源頼朝公です。詰まりは源行…

龍造寺氏の苦悩

龍造寺家は、鎌倉時代から室町時代には現在の佐賀市の地頭職を拝命する氏族だった。この龍造寺家の家臣筋には、あの鍋島弾正が江戸幕府から肥前国三十5万石の近世大名として任命された。しかし鍋島弾正は、本来的には龍造寺家の家臣筋である。ところが龍造寺…

島左近

島左近。戦国時代の勇猛果敢な武士として、5本の指日本数える事が出来る人物。一人は加藤清正。一人は福島正則。一人は立花宗茂。一人は島津義弘そして島左近。まだまだ武門に優れた武士団は数多存在した。その中でも島左近は、立花宗茂と島津義弘の中で1…

元寇

鎌倉幕府で勢力を張った北条家一門衆。その中でも北条家執権職が、北条家の中でも要職を独占した。しかし北条家も、鎌倉幕府成立時には三浦介や上総介や千葉氏などの有力御家人たちと立場は同じ御家人だった。そこで北条家執権職を維持する方策として、官職…

徳大寺実定

平清盛の嫡男平重盛が、内大臣の左大将。次男平宗盛が、大納言の右大将に就任する。武官の最高職である近衛府の左右の大将を独占した。この人事によって最有力候補である徳大寺実定は、近衛大将に就任出来なかった。徳大寺実定卿は、生え抜きの貴族であり官…

之よりしてぞ平家の子孫は絶えにけり

平家物語と云えば、軍記物語の大作。日本国に数多の合戦記が存在しても、太平記と平家物語が合戦物語の双璧。平家一門衆は、伊勢平氏と貴族たちから番犬のような扱いを受けていた。それは平家だけでは無く、源氏や武家になった藤原家の人々も同じだった。源…

成親大将謀反

新大納言藤原成親と云う貴族がいた。新任の大納言であり、後々には右大臣や内大臣や左大臣に昇進したいと思わのが普通である。しかし並の家柄の貴族では、大臣などの官職は所望しても無料である。特に藤原成親は、貴族の中でも三流貴族であり本来的ならば大…

龍造寺一門

九州は肥前国に、鎌倉幕府から地頭職を拝命した武将がいる。その武将の名は、龍造寺氏である。この龍造寺氏は、鎌倉幕府から肥前国の地頭職を拝命するまでは藤原氏であった。元々の素性は、関東地方の有力者藤原秀郷流の一族である。その中で朝廷に奉祀する…

松永弾正久秀

松永弾正久秀は、四国で勢力を拡大して室町将軍家を暗殺した三好家の家老各の武将である。四国で勢力を掌握していた守護職は、細川家である。細川家は、足利家一門衆であり室町幕府の管領職を拝命するほどの名門である。この細川家の執事職が、三好家の人々…

八つ墓村の祟りじゃ

私の小さい頃には、八つ墓村の祟りじゃ!とか病院坂の首縊りや犬神家の一族などが流行った。田舎町には映画館は、1軒から2軒くらいしか存在しない。そこでは八つ墓村の祟りじゃとか病院坂の首縊りなどしか上映していなかった。私は八つ墓村の祟りじゃとか病…

為せば成る成さぬは人の為さぬなり

為せば成ると云う言葉を発したのは、あの武士道上杉謙信公のお膝元う上杉家の殿様であります。上杉家と云えば、足利家執事職を拝命した名族である。あの戦場に於いて、兜の前立を愛と云うデザインを取付て相手方の武将を怯ませた直江兼続が活躍した藩である…

為せば成る成さぬは人の為さぬなり

為せば成ると云う言葉を発したのは、あの武士道上杉謙信公のお膝元う上杉家の殿様であります。上杉家と云えば、足利家執事職を拝命した名族である。あの戦場に於いて、兜の前立を愛と云うデザインを取付て相手方の武将を怯ませた直江兼続が活躍した藩である…