太平記に登場するバサラ大名

バサラ大名とは、世の中の決まり事に囚われない。

また誰もが嫌がる最先端技術の衣装や被り物で人々を驚かす事をわざとしてみせる。

戦国時代には、歌舞伎者とも名指しされた。

戦国時代の歌舞伎者には、前田慶次前田利家伊達政宗などがいた。

そして私が一番好きな歌舞く武将が直江兼続です。

戦国時代には、如何にも荒々しい格好がもてはやされた。

ところが直江兼続は、愛と云う一文字を兜に飾り付けて颯爽と戦場を掛けぬた。

其れが合戦上手でもあり、次々と敵将の首を討ち取った。

しかし室町時代で有名なバサラ大名は、佐々木判官道誉利と美濃国守護職大名土岐氏と一族の多治見氏が存在した。

佐々木判官道誉は、公家集団の中でもバサラ振りを存分に発揮した。

一方多治見氏や土岐氏は、何とも小振りなバサラ振りであった。

此れは貴族集団から見た婆娑羅振りである。

佐々木判官道誉は、武家でありながらも和歌や華道や能など貴族集団に劣る事がないほどの教養人であった。

一方多治見氏や土岐氏は、血筋は美濃源氏系統ではあったが宮から遠く教養人ではなかった。

だから格好だけが婆娑羅風であり、貴族集団の指示が得られなかった。

貴族集団からは軽く扱われて鎌倉幕府からは変わり者と扱われた。

そして後醍醐天皇が、鎌倉幕府の転覆を武家に指示書が到達して直ぐ様馳せ参じた武将が土岐氏と多治見氏だった。

其れもド派手な格好をして美濃国から宮に駆け付けた。

しかし土岐氏と多治見氏だけが馳せ参じたために、真先に鎌倉幕府出先機関六波羅探題の武士に討ち取られてしまった。

一方佐々木判官道誉は、内心では後醍醐天皇の申し出に対して馳せ参じたい気持は強い。

しかし時はまだまだ熟していないと想い、気持とは裏腹に鎌倉幕府の武士団として振る舞っていた。