令和4年1月15日の事【1】

朝筋肉体操&トレーニングは実行しました。

朝入酸素運動は未だに未解決でございます。

寒くて我が愛車から、外に出る事が出来ません。

太陽光が出た暁には、30分間のウォーキングを実践する予定でございます。

朝我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の開始でございます

我が宗派浄土真宗本願寺派の読経は、真にシンプルでございます。

仕事中でも、御飯を食べている時にも阿弥陀仏称名念仏南無阿弥陀仏を口👄から発するだけでございます。

武家に人気がございました宗派は、禅宗でございます。

あの足利将軍職家の宗派も、臨済宗でございます。

武家の棟梁各の足利将軍職家が臨済宗を保護した為に各地の守護職大名家が臨済宗を保護したのでございます。

私自身は、禅宗は良いと思うのでございます。

しかしながら禅宗の修行は、冬場などには辛いと思うのでございます。

寒い中で、ただ浸すら座り込む事の辛さは格別でございます。

特に寒い冬場などには、起きる事も辛いものでございます。

我が事業の拡大基調は間違い無しでございます。

我が先祖の再興&復興間違い無しでございます。

やはり私自身は、鎌倉時代よりも室町時代の方が好きでございます。

特に好きな武将は、武蔵守を歴任した高師直でございます。

高師直は、足利家の執事職を代々歴任した家筋でございます

次には、近江國の守護職大名でございます佐々木判官道誉と云う人物でございます。

佐々木判官道誉は、室町時代に流行った婆娑羅大名の筆頭各でございます。

派手なスタイルで、自分自身に有利な時には味方でも裏切る欲得🉐な行動を摂る。

しかし佐々木判官道誉は、足利尊氏だけは裏切らなかったのでございます。

鎌倉幕府得宗北条高時にも良い顔をする。

一方で時の天皇陛下後醍醐天皇にも、家臣筋のように振る舞うのでございます。

しかし一環して足利尊氏の側に立ち行動したのでございます。

そこで佐々木判官道誉は、足利将軍職家から10ヵ國の守護職大名に指名されたのでございます。

佐々木判官道誉は、一家一門衆を総動員して10ヵ國の守護職大名として任務遂行したのでございます。

そして足利家執事職高師直と云う人物でございます。

高師直は武闘派として、各地での合戦に派遣されて連戦連勝の活躍振りでございました。

特に高師直を支持した武将は、合戦好きな人物が数多存在したのでございます。

足利将軍職尊氏も、合戦好きで知られていたのでございます。

ところが足利尊氏の舎弟足利直義と云う人物は、合戦下手でございました。

しかし寺社や朝廷との外国実務能力は最高でございます。

足利直義に付き従っていた武将は、足利一門衆の吉良&今川&一色&細川&畠山等々の武家の名門でございます。

武家の名門は、合戦下手であり策略する事が苦手分野でございます。

一方で武闘派の武将は、謀殺や騙し討ちや夜討ちなどが得意分野でございます。

そこで合戦上手いであり、連戦連勝記録するのでございます。

我が先祖は、元々は貴族階級の家筋でございます。

しかし藤氏の家は、貴族社会での官職の空席状況が格段に不足気味に陥ったのでございます。

そこで我が先祖の藤氏では、武を持って朝廷に奉職する武官の役人としての道を歩んだのでございます。

その代表者が平将門を討伐した副将軍、藤原秀郷でございます

藤原秀郷も、官職に空席状況が無く関東地区の下野國の国司として赴任したのでございます。

ところが地方自治体勤務は、税金を朝廷に納めた後には自分自身の収入源になるのでございます。

そこで藤原秀郷は、下野國の国司の任期満了後も京都に帰還する事無く下野國の住民になったのでございます。

この藤原秀郷の子孫が、この私自身でございます。