徳川家康は、江戸幕府を開く。幕府を開くには、朝廷から征夷大将軍に任命して貰う必要性がある。
征夷大将軍は、朝廷に刃向かう団体を討伐するために任命される官職である。
此れらは皆が源氏系統であります。
徳川家康も征夷大将軍に任命されるためには、源氏系統の系譜が是非とも必要であった。
吉良上野介家は、足利家一門衆であり筆頭各の系譜である。
足利家一門衆は、下野国が本拠地ではある。
しかし三河国も、足利家一門衆が根を貼っていた。
吉良上野介家を筆頭各に、今川家や一色家や斯波家や細川家などの名家が名前を連ねていた。
吉良上野介殿は、源氏の系譜の名門ですなぁ。
自分自身も関ヶ原合戦に勝利した。
しかし武家の棟梁職を確実に得るためには、征夷大将軍に朝廷から任命される事が必要です。
吉良上野介殿も知っての通り徳川家は、源氏系統では無く加茂神社の神官の家柄ですぞ。
何か征夷大将軍に任命される策はないかと尋ねる。
すると吉良上野介殿は云う。
この日のために我が吉良家は、徳川家康殿の陣中に居るようなものです。
我が一門衆の系譜に、新田入道と云う者が断絶しています。
我が配下の者を宮に上らせて一流の系図業者に描かせましょうと云う。
徳川家康は驚ろいた。何と自分自身の系図が、源氏に繋がっている。
朝廷では審査をした。結果は直ぐ様、徳川家康の陣中に届けられた。