令和3年12月9日の事

我が日本国の年末年始の大行事は、忠臣蔵をテレビ📺で観る事でございます。


忠臣蔵は、赤穂藩5万石の藩主浅野内匠頭江戸幕府高家筋の吉良上野介江戸城内で斬り殺す事に失敗した事でございます。


吉良上野介家と云うと、足利将軍職の親類縁者でございます。


詰まりは源氏系統の家筋の人でございます。


また江戸幕府創設者徳川家康系図上では新田家筋の源氏系統の人でございます。


しかし徳川家康は、源氏系統ではございません。


吉良上野介は、三河国の武士階級でございます。


また徳川家康も、三河武士であり吉良上野介家は家臣筋でございます。


徳川家康は、織田上総介信長が明智光秀に討たれ豊臣秀吉は老衰で泣くなってしまいました。


徳川家康は、せっせと薬学を学び如何に長生きする事が出来るかを実践していたのでございます。

そして最後まで生き抜く事に成功した徳川家康は、江戸幕府を創設する書類を朝廷に提出したのでございます。


ところが幕府を開設する為には源頼朝と同じ源氏系統の系図が必要がございました。

しかし徳川家康は、在原業平に繋がる家筋の人でございます。

そこで偽系図作成に長けた吉良上野介家が活躍したのでございます。

吉良家は、源氏系統の事柄は何事も熟知していたのでございます。


吉良上野介は、見事に徳川家康が源氏系統である系図作成に成功したのでございます。


この偽系図を朝廷に提出して、徳川家康江戸幕府を開設したのでございます。