歴史ドラマで何処そこの若殿の事を御曹司と呼んでいます
若殿と云えば、領主の息子さんであり家臣筋からすると尊い存在です。
ところが嫡男である若殿が尊いのであり、次男や三男は若殿ではあっても余り尊敬される事がない。
そこで館の一つの部屋を与えられて住む!
この若殿の事を御曹司と云う
御曹司とは、障子と障子の間であり一つの部屋の事を云う
御曹司とは、役職も責任も無くて部屋の片隅で飯だけを食べる役にならない若殿の事であります。
しかし戦国時代には、この御曹司が重宝された時代でした
戦国時代は、相次ぐ合戦の嵐であります。
戦国時代を生き残るのは至難の技であり、運だけが頼りな時代でした。
そこで平和な時代の御曹司とは違い、御曹司に希少価値がありました。
次々と兄たちが討死してしまい、何処そこにいた弟を見つけ出して領主にした事例もあります。
その筆頭各が吉良上野介の先祖であります。
吉良上野介家は、室町幕府将軍家の足利一門衆であり、武家の名門です。
しかし戦国時代にあっては実力主義であり、三河国では徳川家が実力者でした。
そこで吉良上野介家は、徳川家の家臣筋として家を存続していた。
しかし吉良上野介家は、武家の名門と云いながら公家風の生活様式が強く合戦は不得意でした。
だから吉良上野介家では、合戦による戦死者が多く跡継ぎが不足していた。
そこで吉良上野介家に一様は繋がる者を探し出し吉良上野介家の跡継ぎに据えた!
あの江戸時代に起きた吉良家事件は、この傍系である人物の子孫が引き起こした。
また平安時代の末期は、源氏のような天皇陛下に繋がる家柄の人でも、官職も官位も無く田舎住まいをしている者を冠者と云う名刺を付けて呼んだ。
あの源氏の嫡流でありながら親類縁者に攻め込まれて亡くなってしまった源義賢。
また源義賢の甥で悪源太義平と云う武士も、関東の有力者三浦介家に婿養子に入っていた。
この秩父氏と三浦介は、関東でも有名な仲の悪さだった。
そこで三浦介は、婿養子の悪源太義平に軍勢を与えて秩父氏を攻め込んだ。
悪と云うと悪人と思うが、平安時代の悪には強いと云う意味合いがあった。
源太は、源氏の長男と云う意味合いです。
悪源太義平は、強い源氏の長男と云う意味合いです。
この源家でも勇猛果敢な武将が、秩父氏に夜討を仕掛けた
秩父氏でも、源義賢が応戦したが何せ悪源太義平が攻め込んで来たために破れてしまった。
そして源義賢の息子さん二人を引き連れて、木曽の山奥に身を置いた。
この木曽の山奥に身を置いた人物が、後々に平家一門衆を京都から追い出した木曽冠者義仲でした。
冠者は、家柄は由緒正しいが官職も官位も無くて地方の有力者に養われている人を揶揄した呼び方であります!