2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

武官の最高職近衛府の右大将、左大将

朝廷に奉職する貴族は、文官と武官にわかれます。文官は内大臣!右大臣!左大臣があります。その下に大納言!中納言!少納言があります。また地方の役所を統括部長として、太宰府の大弐と云う官職があります。また関東から東北地方を統括する貴族は、鎮守府将軍…

末法思想始まる

平安時代の末期に、全国各地で自然災害や地域の武士団たちが続々と合戦を始めました宮の公卿たちは、或るお経に書いてある文書の事を考えていました。佛教の教えが廃れて、世の中に兵乱が続々と発生する。その後に弥勒菩薩が現れて、乱れた世の中に佛教を浸…

太平記

日本の武士を題材にした軍記物語に平家物語と太平記があります。平家物語は、公卿たちに番犬のようにこき使われていた武士が公卿の上に君臨して行く物語であります。一方太平記は、一度は公卿たちを圧倒した平家一門衆が源頼朝が束ねる関東武士団により討伐…

平清盛大政大臣従2位

平清盛が、武家出身でありなが公卿集団の最高職大政大臣従2位に指名された。大臣のポストは、内大臣!右大臣!左大臣の順位であります。この3大臣が政治の実務者であります。そして三大臣の協議を摂政関白殿下が、天皇陛下に奏上奉るのであります。大政大臣…

木曽義仲と源頼朝

木曽義仲と源頼朝の父親は、兄弟である。源頼朝の父親源義家が兄であり、木曽義仲の父親が弟であります。詰まりは木曽義仲と源頼朝は従兄弟の関係でございます。しかし武家の慣習法として長男坊が基本的には跡継ぎに就任する事になります。だから源為義の長…

公家集団

公卿集団と云っても、摂政関白家と二流や三流又は下級貴族に分けられます。摂政関白家は、藤原鎌足と息子藤原不比等の子孫たちですしかし藤原不比等の中でも藤原北家の一族が優位な地位を独占した。残りの藤原式家や京家や南家の藤原一族は二流!三流の藤原家…

島原の乱

肥前国島原は、有馬家が支配していました。この有馬家の先祖は、瀬戸内海で窃盗や強盗などをした元締でした。藤原澄友は、昼間は伊予国の介と云う立場で勤務していました。ところが夜になると、九州から京都に向う船⛵を根こそぎ強盗していた。藤原澄友は、次…

西郷先生

私の尊敬する人物の1人が明治維新の立役者薩摩藩の西郷先生です。西郷先生は、明治政府の陸軍大将であり参議の1人でありました。西郷先生のバックには、薩摩藩藩士で示現流の使い手が数多いたのでした!あの狼藉者の集団である幕府軍の闇組織である新選組の…

源頼政

源頼政は、源三位入道頼政とも云う!源氏で三位で出家していると云う意味合いです!源家は、大きく分けて兄の頼光流と弟の頼信流に分けられる。兄の源頼光は、大阪の多田と云う地域に数多の領地があった。そこで多田頼光とも云った。一方弟の源頼信は、領地と…

武士&侍

武士と云う固有名詞は、朝廷から何の官職にも任命されていない殺傷を生業にしている地主です。しかし殺傷を生業としている地主と云っても、武士的なエチケットの元での殺傷でありました。其れは一対一での合戦を主体にする事。次にはいきなり殺傷力を使用す…

御曹司&冠者

歴史ドラマで何処そこの若殿の事を御曹司と呼んでいます若殿と云えば、領主の息子さんであり家臣筋からすると尊い存在です。ところが嫡男である若殿が尊いのであり、次男や三男は若殿ではあっても余り尊敬される事がない。そこで館の一つの部屋を与えられて…

平将門

平将門が現在の茨城県人とは知りませんでした。平将門の先祖は、桓武天皇の皇子様です。しかし天皇陛下の皇子様であっても、京都では官職の空きはなく仕方なく地方長官として赴任するしかなかった。そこで関東地方の上総国の地方長官が空席だったので、上総…

征夷大将軍徳川家康

戦国大名の実力者徳川家康の先祖は、京都の加茂神社が三河国に所有していた神社の領地を管理する一族だった。徳川家康は、元々は松平と云う地域の有力者である。松平は、加茂郡松平と云う地域である。京都の有力神社である加茂神社は、日本全国に神社の領地…

豊臣秀吉(太閤記)

豊臣秀吉は、武将階級でありながら殺生が大嫌いでありました。豊臣秀吉は、尾張国中村村の百姓の息子として産まれました。秀吉の父親も、百姓の傍ら合戦があると足軽に変装して戦に参加していました。ところが秀吉の母親は、父親が合戦に参加する事を不満に…

司法試験予備試験合格発表

司法試験予備試験の合格発表会がありました。最少年齢は18最少で合格です。もし来年度司法試験に合格したら、19歳で弁護士会会員です。未成年者で酒タバコも違法行為なのに、弁護士先生と呼ばれるのです。最年長合格者は、59歳です来年度司法試験に合…

安倍一族

熊本藩の殿様は、細川家であります。細川家と云えば、足利一門衆であり室町幕府の管領職を歴任した。また守護職にも、10ヵ国任命された名門中の名門であるしかし室町幕府の管領職に任命されていたが、足利将軍家の力が弱まり管領職の力も共に衰退した。室…

西郷先生

西郷隆盛の先祖は、元々肥前国諫早と云う領地を治めた一族であった。しかし我が先祖龍造寺氏が、肥前国佐賀から諫早方面に出張って来た。龍造寺氏は、九州地区の鎌倉時代からの有力大名大友家や島津家とも合戦状態であった。西郷家では、島津家に救援要請を…

兵乱の時代

現在も流行病で、日本国も兵乱の世の中に突入しています。古の日本国にも何度も、現代のような兵乱の時代が存在しました。最初は源平合戦の時代であります!世の中を支配していた公卿集団の時代が終了して、殺傷を生業にしている武力行使集団が台頭してきた⬆…

昔の官職の呼び名は格好が良いぞ

現在の知事の呼び名は、肥前守とか常陸介とか上総介とか日向守とか何とも格好が良いぞ!日本国は66カ国存在した。この66カ国には、国司又は受領が存在した。国司と受領は、同じ官職であり呼び方が違うだけである。また国司&受領の下には、介と掾があった…

農業を思いきりやりたいぞ

私の先祖は、肥前国の地頭職を源頼朝公から拝命された!其れから鎌倉時代から室町時代そして戦国時代まで武士としての身分を維持していた!しかし戦国時代に38家存在していた一門衆が、鍋島弾正家に敗北して九州や畿内地域に分裂した。我が先祖は、辛うじて…

八幡太郎義家

八幡太郎義家と云えば、清和天皇の子孫であり臣籍降下により源氏の姓を賜って皇籍を離脱した。 清和天皇は、他の貴族たちとは違い相撲や競馬や武家事が好きな天皇であった。この武芸好きな天皇の子孫である源氏が、武芸に秀でた一族でないわけがない。 八幡…

対馬国の守護職

鎌倉時代に日本国最大級の国難とも云うべき事件が起きた!あの大帝國モンゴル軍20万の軍勢が、日本国に対して国を開くようにと求めて来た!鎌倉幕府将軍家は、天皇家の親王殿下が京都から下り便宜上総大将に就任していた。この総大将を支える立場の家が北条…

足利尊氏の先祖が頑張る

流し者となった源氏の御曹司源頼朝が、平氏打倒を掲げて謀反を企てる。この源頼朝の代理人として、同じ源氏一族の足利家の人々を大将に任命して京都に向けて出陣した。足利家の援軍の副将軍として源家を援軍に指名した。源氏と平氏が、尾張国の墨俣川を挟ん…