征夷大将軍徳川家康

戦国大名の実力者徳川家康の先祖は、京都の加茂神社が三河国に所有していた神社の領地を管理する一族だった。

徳川家康は、元々は松平と云う地域の有力者である。

松平は、加茂郡松平と云う地域である。

京都の有力神社である加茂神社は、日本全国に神社の領地を所有していた。

しかし神社の僧兵を全国各地に派遣して、神社領地を管理させるわけにもいかない。

そこで地域地域の有力者に金銭を支払って管理を依頼した

そして三河国では徳川家康の先祖に白羽の矢がたった。

武士階級にとっては心の拠り所となる神社の領地を管理する事は名誉な行為である。

ところが神社としては、管理費をなるだけ安くで抑えたい

そこで徳川家にも、管理費を値切り倒した。

徳川家でも議論はあったが神社の領地を管理する事は名誉な行為だと云って安い金銭で引き受けた。

徳川家では加茂神社の管理費では生活が成り立たず、仕方なく近畿地方に出て金融業者の商いを開始した。

ところが金融業者の商いが大当たりした結果、三河国岡崎城を買う事に成功した。

徳川家の領地は、豊田市の山奥にある松平である。

山奥にあり農地も少なく領地としては魅力的ではない!


しかし岡崎城近辺は、東海道線沿いであり、農地も広大だった。


徳川家は、金融業者に鞍替えした後、運が開けて征夷大将軍に就任する事が出来た?