織田上総介信長が、天下統一の一歩手前で明智日向守光秀の謀反により本能寺の変で討死した
明智日向守光秀は、古い秩序を重んじる武人であり文化人でもあった。
明智日向守光秀は、織田上総介信長の余りに早い制度改革に付いて行く事が出来なかった。
主君の織田上総介信長は討ち果した。
しかし明智日向守光秀には、天下統一に対しての政権構想が描けていなかった。
明智日向守光秀は、一様に各地に散らばる武将に対して仲間になるようにと誘い込む事にした
しかし主君殺しの明智日向守光秀に味方する武将は皆無だった
月日は流れていた。
すると毛利家攻めに苦心しているはずの羽柴秀吉が、何と三日で明智日向守光秀の陣の目の前に現れた。
明智日向守光秀は、大いに驚いた。
其れも羽柴秀吉の軍勢は、6万騎に膨れ上がっていた。
羽柴秀吉の軍勢が通過すると我も我もと、通過する地元の武士団が馳せ参じていた。
そして圧倒的な羽柴秀吉の軍勢が、明智日向守光秀との合戦が始まった。
合戦上手の明智日向守光秀ではあるが、多勢に無勢である。
その後の羽柴秀吉の勢いを止める武将は皆無だった。
強いて言えば三河国と駿河国と甲斐国と信濃国を領地にしていた徳川家康が対抗勢力である。
しかし世あたり上手の羽柴秀吉である。
羽柴秀吉は元々は百姓上がりであり、幼い頃には田畑で立ち小便をした。
屋敷の庭で立ち小便などの行為は下品であり行った事などなかった。
徳川家康殿ほどの武将が、百五十万石の石高では少な過ぎですぞ。
今回の北条家討伐で関東地方三百万石の領地が空きました。
そこで関東地方三百万石を徳川家康殿にプレゼント🎁したいと思っていますと云った。
徳川家康は、今の領地と関東地方を合わせると羽柴秀吉を追い抜く事が出来ると思った。
そして次の日に羽柴秀吉から呼び出されて、領地の契約書を渡された。
その領地の代わりとして関東地方を領地に国替えすると書いてあった。
徳川家康は思った。
世あたり上手の羽柴秀吉の口車にまんまと騙されてしまったと思った。
しかし後の祭りである。
徳川家康の旧領には、羽柴秀吉の家臣団が城🏯持ち大名として配置換えされていた。
徳川家康は悔やんだ。
羽柴秀吉に誘われて立ち小便をしなければ良かったと。