ムカデ対策2

鶏の好物は、ムカデとインターネットで調べ上げました。


カラスの好物も、ムカデとインターネットで調べ上げました。


しかしカラスを飼う事は、少し難しいようでございます。


猫🐱もムカデを食べる事は書いてありました。


でも猫🐱は、ムカデに刺される事もあるようでございます。


やっぱり鶏を飼う事がベストアンサーのようでございます。


部屋の中で鶏を飼う事は初挑戦でございます。



田舎では鶏を飼っていた事はございます。


でも田舎での鶏を飼っていたのは、鶏舎でございます。


部屋で飼う事は、未体験ゾーンでございます。


また鶏が、ムカデを見つけても寝て気付くのが遅くなったならば逃げられてしまいます。


鶏を飼う事も、心配色々でございます。



しかしムカデから刺される事は、アナフィラキシーショックを誘発しかねません。


2回刺される事が一番に怖いそうでございます



お医者様が妻ならば、アナフィラキシーショックなんか怖くはないのですが?



南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!



怖くて怖くて死にそうでございます。

ムカデ対策1

私は5年前に寝込み中に、ムカデから刺されました。


それからは毎年毎年、ムカデ対策が必須アイテムになりました。


ホームセンターでムカデ対策用の薬を撒いたり捕獲用のムカデ人間ゾロリを買い込んだりしました。


しかしムカデ対策をしても、出る時には出ると云うのが結論でございます。


そこで4メートル位のベッドを自作しました。


ところが屋根裏からムカデが落ちて来たのでございます。


もうムカデ対策に疲れていた時に、そうだ昔使用していた蚊帳を買い込んでみようと考えました。


蚊帳は、効果テキメンでした。


蚊帳の外にいる時には、常にムカデに目を光らせています。


そして蚊帳に入る時には、服👕にムカデが付いていないか確認してから蚊帳に入る事が重要でございます。


髪がもそもそしているために、手で払ったら何とムカデが頭をハイハイしていた事もございます。


そして外出する時には、必ずスーツを裏に表にしてムカデがいない事を確認する事も必須アイテムです。


また靴を履く時にも、細心の注意深さが必要でございます。


靴👞の中にムカデが潜む事があるからです。



4月から11月までの間は、ムカデ&スズメバチ&毒ヘビとの闘いでございます。


あぁストレスが溜まります。

昨日ムカデが顔を歩いていました!

昨日ムカデが我が顔を歩いていました。

朝4時頃の出来事でございます。


5年ほど前に朝3時頃、赤赤とした大ムカデに足を刺されました。


熱が出て病院にも行く事が出来ずに、家で唸り声を上げて我慢していました。


今過ごしている地域は、土田舎でありスズメバチやヤマカガシやイノシシや熊🐻も出ます。


ムカデに刺されると2回目が酷いらしく、恐ろしくて恐ろしくて仕方がありません。



毎晩のようにムカデの夢を観ていました。



そしてとうとう昨日、私の顔を歩いていたのでございます。


ムカデは、2時間格闘した結果ハサミで八つ裂きにしました。


まだ5月なので動き出すのが鈍いから八つ裂きにする事が出来ました。


夜中は早速に蚊帳の中に寝ました。



今年は春先が早く、ムカデの成長も早いようでございます。


何かムカデを捕食するような動物は存在しないか思案しています。

今年の夏場は何処に行く?

今年も5月に突入しました。

7月に突入すると、JRから青春18切符と云う貧乏人にとっては天使👼のような格安チケットが発売されます。


青春18切符は、青春を謳歌している若者たちの専売特許ではございません。


十分に中年&年寄りにも、開放しているれっきとした切符であります。


5枚セットになっています。


1枚でJRの列車に乗り放題が売りでございます



しかし勘違いしている人々も存在しているかもしれません。


乗り放題と云っても、普通列車オンリーであり新幹線や特急列車や急行列車には一切乗車は不可能でございます。


そこで東京から福岡県まで行くとすると、2日間普通列車に乗車しなければなりません。


普通列車に乗り放題で行くと、駅そばも時間の関係上食べる事が出来ません。


また座席💺も奪い合いになり、何時間も立つ場合も数多でございます。



また1日目が夜中12時まで乗車すると、夜中12時から朝の始発列車まで駅前のベンチに座る事は必須でございます。


そして駅前には覆面パトカーが必ずやって来ます。


覆面パトカーからは、職務質問のオンパレードでございます。


何をしているのかねとか、何処から来たのかねとか、何で駅前のベンチに座っているのかねとか絶対的に聴かれます。


私は絶対的に職務質問を拒否します。



そして職務質問を受ける事無く、朝の始発列車の時刻になります。


一回は兵庫県明石駅前のベンチで横になっていると、爆睡してしまい朝8時頃まで寝入ってしまいました。


服からは財布が丸見えであり、スリから財布を抜き取られても不思議ではごさいません。


ところが財布は無事であり、何も入っていないボストンバッグも無事であります。


やはり日本国は治安が良いなぁと実感した瞬間でございます。


ところが山口県は、治安が悪いと感じました。


山口県岩国駅前のベンチに横になっていると誰かが、私の携帯電話を奪い取ろうとしていたのでございます。


其れ以後は山口県て夜中を過ごす事は避けるように心掛けています。


では何処で夜中を過ごすと云うと、四国の高松駅で過ごす事に変更しました。


高松駅の最終列車は岡山駅を夜中の1時頃出陣して、高松駅に夜中2時頃到着します。


そして朝の始発列車は、4時頃にはホームに入ります。


其れから4時半頃には高松駅を出陣して、岡山駅には5時過ぎには到着します。


二日目は、岡山駅から福岡県の博多駅を目指します。


そして小倉駅の駅そば屋に立ち寄り、九州名物かしわうどんを食べるのでございます。

今年の夏場は墓参りだ!

もう二年間は、流行り病により田舎の墓参りに帰参していません。


今回の夏場は、是非とも田舎の墓参りには行く予定でございます。


夏場にはJRが発売する格安チケットである青春18切符の利用が可能でございます。


青春18切符で福岡県福岡市まで行き向かいレンタカーを借り受けて軽自動車で田舎の墓参りを断行する予定であります。


軽自動車があれば車の中で睡眠も出来ます。

足利又太郎

足利家は、源頼朝とは親類縁者の関係者でございます。


足利家は、下野国に地盤を張って兄弟姉妹関係の新田入道家と最初は仲良く領地を共同開発していました。


しかし新田入道家は、嫡男であり次男坊の足利家は不利な状況でありました。


弟の足利家の人々は、兄の新田入道には頭が上がらなくなる。


そんな時に流罪に処ささていた源氏の棟梁家の源頼朝が、反平家を掲げて関東地区の武士団を纏め上げていた。



この源頼朝の誘いに真っ先に陣に馳せ参じた武将が足利家の人々でありました。


ところが新田入道家の人々は、同じ源氏の一族でありながら源頼朝に対して対抗意識が強く鎌倉の陣に馳せ参じる事がなかった。



しかし関東地区の武将のほとんどが源頼朝の陣に馳せ参じた。



新田入道家の人々も、重い腰を上げて嫌嫌な気持を丸出しで源頼朝の陣に馳せ参じた。


しかし新田入道は、源頼朝に対して横暴な挨拶をしてしまった。


後々に源頼朝が、鎌倉幕府を開いた時に足利家の人々は5ヵ国の守護職に指名された。



ところが新田入道家の人々は、上野国守護職には指名される事も無く地頭職に任命されたに過ぎなかった。



足利又太郎は、源平合戦では源義経と同じように大将に指名された。


足利又太郎は、余りの嬉しさに船合戦に際して総大将でありながら自ら真っ先に船に乗り込んで勇んで合戦に繰出た。


足利又太郎に付け家老職として、源頼朝が戦奉行にしたのが海野と云う武将であった。


足利又太郎は、下野国が本拠地である。



また戦奉行に指名された海野も、信濃国が本拠地でがる。


足利又太郎も海野も、共に海の合戦は初めてであり海賊出身の平家一門には敵うはずがなかった。


足利又聞きは、重い鎧兜を身に付けた格好で船⛵に乗り込んだために沈没してしまった。


総大将の足利又太郎と戦奉行の海野は、何とか船⛵から助け出す事が出来た。



合戦の顛末は、合戦上手の源義経の大活躍により源氏の軍勢が勝利した。



当然の事ではあるが、足利又太郎と海野の取扱が問題視されてしまった。



ところが源頼朝は、足利又太郎を総大将から外す事はなかった。


其れどころか、足利家🏠に対しては領地として三河国を与えてしまった。

お家時間は何をしている?

お家時間は、寝ています。


我が先祖は代々寝る事が好きな一族でございます。


先祖は、鎌倉幕府から肥前国佐賀荘園の地頭職に任命されました。


ところが地頭職に任命されてしまった途端に、気持が緩み寝てばかりしていました。



農地の管理は、家臣筋に丸投げして自分自身は趣味である昼寝を満喫していました。



そんな時に大陸からモンゴル軍が、日本国に攻め込んで来たのです。


我が先祖も鎌倉幕府から、福岡の陣に参陣するように命令がありました。



我が先祖は不機嫌な気持ではありましたが、主人筋である鎌倉幕府の命令を無視する事も出来ず無理無理に陣に参陣しました。



しかしモンゴル軍が攻め込んだ時にも、昼寝タイムと云い趣味の昼寝タイムを満喫していました。



この行為には、さすがの鎌倉幕府から派遣して来た総大将殿も立腹した。


そして肥前国佐賀荘園の地頭職を解任されてしまった。



その後任の地頭職には、我が先祖代々の家臣筋である鍋島弾正忠と云う武将が任命されました



我が先祖は、鍋島弾正忠の家臣筋に格下げとなりました。



しかし鍋島弾正忠は、元々我が先祖の家臣筋でございます。


昼寝する事も容認されたし、領地も食べる事が出来る広さの農地を拝借しました。


この先祖の子孫である私自身が、5月のゴールデンウィークに寝る事を放棄する事はございません。