平清盛が、武家出身でありなが公卿集団の最高職大政大臣従2位に指名された。
この3大臣が政治の実務者であります。
そして三大臣の協議を摂政関白殿下が、天皇陛下に奏上奉るのであります。
大政大臣のポストは、何も実務的な仕事はしない名誉職であります。
この実務を担当する公卿集団は、ほとんどが摂政関白家の人々です。
そして希には、摂政関白家の次のクラスの貴族が内大臣又は右大臣に就任します。
実務者の最高責任者の左大臣には、摂政関白家の公卿が就任します。
摂政関白家には、近衛家!一条家!二条家!鷹司家!などが存在します。
次のクラスの公卿には、徳大寺家などの家があります。
しかし軍事貴族である平氏や源氏は、地方の最高責任者守や介などに任命された。
その軍事貴族である平氏が、生え抜きの公卿集団を飛び越えて大政大臣に就任したのであります。
生え抜きの公卿集団たちは、平氏一門衆を闇討ちにしようと企てました。
しかし公卿集団が考える闇討ちとは、闇に紛れ込んで袋叩きにする事でありました。
この闇討ちを漏れ聞いた平清盛は、刀を宮中に持ち込んで公卿集団が観ている前で切れ味を試して見せた。
また平末重と云う勇士を宮中に潜り込ませて主君平清盛の成行を見守った。
この2つの出来事により、公卿集団は恐怖症になり御漏らしをしてしまった。
そこで跋が悪くなり、闇討ちは未然に防ぐ事が出来た。
平清盛を中心とした平氏一門衆は、続々と内大臣や右大臣や左大臣に就任した。
また武官の最高職近衛府の右大将で左大将まで平氏一門衆が独占してしまった。
この武官の最高職近衛府の右大将と左大将は、公卿集団の憧れの官職だった。
武官の最高職近衛府の右大将と左大将に就任すれば、日本国の武士団に号令を発する事が出来るからだ。