朝筋トレは8割は達成でございます。
朝入酸素運動は今からでございます。
朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成でございます。
親鸞先生バンザイ🙌でございます。
法然先生バンザイ🙌でございます。
我が家の再興は間違い無しでございます。
我が事業の成功は間違い無しでございます。
我が惣領家は、一旦は豊臣秀吉によりて肥前國35万石の國主に指名されたのでございます。
我が先祖も、惣領家の一門衆38家の一員として重んられていたのでございます。
ところが豊臣秀吉は、何と惣領家を大阪に住まわせ肥前國佐賀には鍋島弾正忠家を家老職に指定するように命令したのでございます。
我が先祖も、泣く泣く鍋島弾正忠家に奉職したのでございます
ところが形式的にではございますが、豊臣秀吉は我が惣領家を肥前國35万石の太守として扱っていたのでございます。
しかし豊臣秀吉が亡くなり徳川三河守家康が江戸幕府を開くと肥前國35万石の太守に鍋島弾正忠家を指定したのでございます。
そして我が先祖は、泣く泣く鍋島弾正忠家の足軽大将5石取りの家臣筋になったのでございます。
惣領家は、徳川幕府の仕打に対して抗議行動として鍋島弾正忠家の妻を刺し殺し自らは毒物自殺を実行したのでございます。
しかし自殺は未遂に終わってしまいました。
また武家が切腹自殺では無く、毒物自殺とは何事であるかと批判殺到でございました。
そして徳川幕府は、正式に鍋島弾正忠家を肥前守に任命し名実共に佐賀35万石の太守に任命されたのでございます。
朝廷から守に任命される為には家系図を提出して系譜を明らかにする必要性がございます。
鍋島弾正忠家は悩んだのでございます。
其れは先祖が誰かが判らないのでございます。
そこで徳川幕府の有力者吉良上野介に相談して、一様九州地区の名門少弐家に繋げたのでございます。
またまた吉良上野介が見知っていた京都の偽系図作成業者に依頼してもっもらしい系図を作成したのでございます。
朝廷で審査した結果は、鍋島弾正忠家は肥前國の守に相応しい家筋と認定されたのでございます。
そして30年後に我が惣領家の嫡流の浪人が、ちゃんとした家系図を江戸幕府に提出したのでございます。
江戸幕府は慌て蓋めいたのでございます。
余りにも家系図が、嘘偽りの無い系譜だったからでございます
しかしながら今から鍋島弾正忠家を廃止させて、元々は由緒正しい武家ではございますが浪人生を肥前國35万石の太守に据える事は出来ないのでございます。
そこで徳川幕府は、我が惣領家の嫡流家を敗訴にしたのでございます。
理由は訴える利益が無しと何とも理解出来無い理由ではございました。
そこで訴訟に敗訴した我が惣領家の嫡流は、自分自身が可愛がっていた黒猫に恨みを晴らす事を頼み込んだのでございます。
しかし黒猫の恨みは、鍋島弾正忠家の忠実な家臣筋によりて阻止されてしまったのでございます。
また我が先祖は、鍋島弾正忠家の足軽大将5石取りの状態からは抜け出す事が出来なかったのでございます。