令和4年2月19日の出来事【2】

筋肉トレーニング&体操は9割は達成でございます。

朝入酸素運動は1時間の散歩でございます。9割は達成したのでございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然上人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。


徳川三河守家康は、先祖は豊田市松平郷の地主筋でございます

松平郷は、京都の大神社加茂神社が所有する領地でございます

加茂神社は、各地域に神社領地を数多所有していたのでございます。

そこで各地域の武士階級に管理を委任契約を結んでいました。

徳川三河守家康も、加茂神社領地の1管理人の家筋でございます。

徳川三河守家康の先祖は、経営的な才能も兼ね備えていた為に堺市で金融業も営んであいたのでございます。

三河國松平郷は、農地が少なく石高が低い地域でございます。

そこで徳川三河守家康の先祖は農業だけでは食べる事が出来ない為に堺市で金融業も営んでいたのでございます。

ところが室町幕府になり、足利幕府の権威が薄れ世の中が兵乱になったのでございます。

徳川三河守家康の先祖は、金融業で蓄えていた金銭を有効活用する事で三河國を統一したのでございます。

三河國は、足利家一門衆が数多存在する地域でございます。

徳川三河守家康は、足利家一門衆を家臣筋にする事で徳川家の権威を手に入れる事が出来ました。

そして織田上総介信長が、家臣筋明智日向守光秀の謀反によりて滅びたのでございます。

また豊臣秀吉は、跡継ぎ問題で挫折したのでございます。

最終的に居残る事が出来た徳川三河守家康は、幕府を創設したいと考えたのでございます。

しかしながら幕府を創設するには朝廷の認可が必要でございます。

その認可の必要書類の中に、幕府創設には源氏系統の血筋が絶対条件でございます。

そこで徳川三河守家康は、家臣筋で足利家一門衆の吉良家に相談したのでございます。

吉良家の惣領家は、主君筋徳川三河守家康に在る提案書を提出したのでございます。

新田系の家筋に、得川と云う家が跡継ぎ問題で倒産した家が存在したのでございます。

そこで京都で偽系図作成の第一人者の業者に頼み、立派な源氏系統の偽系図が出来上がったのでございます。

早速に偽系図を朝廷に提出しました。

朝廷では当然の事でございます

徳川三河守家康が、源氏系統で無い事は知っていたのでございます。

しかしながら関ヶ原の戦いの勝利により、四百万石の実力者でございます。

朝廷では早々と認可を出して徳川幕府が創設されたたのでございます。

徳川三河守家康が、征夷大将軍に就任する事が出来たのは吉良家の功績でございます。

そこで吉良家は、石高は低いながら徳川将軍職の隣りに座る仕来りでございました。

また吉良家は、幕府の中では高家と云う特別待遇の取り扱いを受けていたのでございます。