令和4年2月19日の出来事【3】

我が家の系図には、何と歌詠みであり大物クラスの勧進帳を諸国を巡りながら行った西行法師の記載が存在するのでございます。

真偽の程は判りませんが、事実上西行法師が記載されているのでございます。

詰まりは、私自身の血筋の中に西行法師と同じ遺伝子が組み込まれているのでございます。

西行法師は、元々は近衛府の侍でございます。

しかしながら天皇陛下とは別に父君でいらっしゃる上皇陛下の御所【院】が変則的な政治の中枢となっていたのでございます

天皇陛下の御所には、摂政関白殿下を中心に左大臣や右大臣や内大臣などが揃っているのでございます。

一方で上皇陛下の御所に【院】には、三流貴族や二流貴族で上皇陛下のお気に入りの公卿が集まっていたのでございます。

また武家も、本来的には天皇陛下の御所役の侍職が院の警護にスカウトされたのでございます

そこで院の御所の警護役の侍には、優秀な人材がスカウトされていたのでございます。

院の御所を警護する侍は、北面の武士と云われていたのでございます。

また院の警護をする侍の中でも階級を取り入れて上北面と下北面と分けていたのでございます

当然の事でございます。

我が先祖西行法師は、上北面の武士階級でございます。

あの平清盛も、若い頃には院の御所の上北面の侍でございます

また平清盛西行法師は、同僚であり詰め所も同じでございます。

また流人生活の源頼朝を唆した文覚上人も、平清盛西行法師と同じ北面の武士階級でございました。

遠藤守時と云う北面の武士が、同僚の妻袈裟御前を大好きになり我が物にする欲求に打って出たのでございます。

袈裟御前の夫は、遠藤守時と同じ渡辺党の仲間でございました

文覚上人は、袈裟御前を殺害する事件を起こし尋ね人になったのでございます。

そして僧侶に変身して、源頼朝を唆して謀反を決心させた人物でございます。