外葉流しの事

平氏一門衆の人々が、次々と左大将や右大将や右大臣や左大臣に就任してしまう。



そこで生え抜きの貴族たちの間では、平氏一門衆の人々が次々と官職を独占してしまうので自分たちは何時になったら官職に有り付けるのかと囁きあった。



その中で武官の最高職左大将に野心を燃した貴族が、藤原成親と云う新任の大納言職であった




新任の大納言職ではありましたが、後白河上皇陛下のお気に入りの貴族であり今までも5回流罪の刑に処せられながら何故か出世すると云う大納言でございます。



この武官の最高職近衛府の左大将と右大将は、お公卿さんならば誰しも就任したい魅力的な官職でございます。



しかし誰しも就任出来るわけは無く、大体は摂政関白職に繋がるお公卿さんか次のクラスのお公卿さんか就任する官職でございます。



ところが藤原成親は、三流貴族のお公卿さんであり本来的には大納言も就任出来ないクラスの公卿でございます。



しかし後白河上皇陛下の側近として、本来的には朝廷で奉職する事が基本ではありますが院の御所の別当職も兼ねた大納言職でありました。




ところが空席となった武官の最高職近衛府の左右大将に何と平氏が兄弟揃って就任したのでございます。



藤原成親も、先輩の大納言職徳大寺実定卿当たりが就任したならば諦めも付く。



しかし武士階級の平氏に飛び越されては、憤りもおさまらなかった。




そこで俊寛僧都と云う後白河上皇陛下の側近の山荘で、平氏打倒の会議を開いたのでございます。



その会議に武士階級の人として呼ばれていた源行綱と云う武士は、会議を聴きながら考えたのでございます。




平氏一門衆の勢いは、我が源氏の一族が団体で合戦を仕掛ても滅ぼす事など出来ない。




この際は、今日の謀反の会議の有様を他人から漏れ出す前に我が口👄から平清盛に漏らしてしまおうと思い浮かべたのでございます。




早速に帰り道に、平氏館に行き平清盛に今会議で話し合った内容を尾ひれを付けて告げ口した



そして平清盛は、平氏一門衆を掻き集めて謀反人たちを一斉に捕らえてしまったのでございます。




その中には首を斬られた者や流し者となった者など、立場によりて刑罰はまちまちでございます



会議の山荘を提供した俊寛僧都藤原成親の息子と平泰頼の3人は、硫黄島と云う九州地区から離れた島に流罪となった。



しかし俊寛僧都は、僧侶と云っても寺の事務を司る頭の事務僧侶であり信仰心もまったく存在していなかったのでございます。



一方他の二人は、元々から熊野信仰心が存在して硫黄島でも熊野神社を見立てて熊野神社参詣を怠る事がなかった。



そして或る日の事でございます。



平泰頼が、葉に文字を書き込み海に浮かベて流したのでございます。



その葉は、平氏一門衆の守り神様である安芸国厳島神社に辿り着く事が出来たのでございます



そして平泰頼が流した葉を厳島神社で拾い取ったのが、平泰頼の友達だった。



早速に平清盛に、拾い取った葉を見せたのでございます。



平清盛も感動して、藤原成親の息子と平泰頼二人を流罪の罪を許して宮に来るようにと命令した



一方信仰心も無い俊寛僧都だけは、流罪の罪を許される事も無く硫黄島平氏一門衆を怨みながら死んだのでございます。



平氏一門衆が、壇ノ浦の戦いで源氏に敗北した背景には俊寛僧都のような死霊が付いていたからでございます。