令和4年1月15日の事【3】

或る高僧が、足利尊氏武家の棟梁職の心髄を聴いたのでございます。

足利尊氏は、高僧に対して即座に答えたのでございます。

高僧殿に答えます。

武家の棟梁職の心髄は、大工の棟梁職と同じであると云ったのでございます。

大工の棟梁職は、数多の職人職を束ねて大きな建築物を基礎から造って行くのでございます。

武家の棟梁職も、数多の武家を束ねながら鎌倉幕府得宗家北条家を滅ぼす事でございますと云ったのでございます。

そして足利尊氏は、源氏の長者として武家を束ねて寺社や貴族と対峙しなければならないのでございます。

或る時に、佐々木判官道誉が近江國の守護職として猿楽を催したのでございます。

其れも近江國坂本の地で、猿楽をやってのけたのでございます

近江國坂本は、比叡山延暦寺門前仲町でございます。

また比叡山延暦寺の守り神は、何と猿🐒でございます。

この比叡山延暦寺の守り神お猿さんを題材に、猿楽芸能を催したのでございます。

近江國の有力者は、佐々木家でございます。

そして比叡山延暦寺も、近江國に領地を数多所有していたのでございます。

そこで佐々木家と比叡山延暦寺とは、頻繁に合戦合戦を催していました。

今回は、足利幕府から近江國を含めて10ヵ國の守護職大名に指名されたのでございます。

また室町幕府将軍職足利尊氏とは、鎌倉幕府得宗北条高時を倒す時からの仲間でございます。

足利尊氏は、今回の佐々木家と比叡山延暦寺との諍いに対して何と比叡山延暦寺を勝訴させたのでございます。

佐々木判官道誉は、伊豆國に流罪となってしました。

ところが近江國を出るまでに3年間を要したのでございます。

佐々木判官道誉に対する流罪の期間が3年間でございます。

そして佐々木判官道誉が、近江國をソロリソロリと猿楽を催しながら隣国に入ったのが3年間でございます。

詰りは佐々木判官道誉は、自分自身の領地を出る期間が3年間なので近江國を出た時には流罪の期間を完了していたのでございます。

足利尊氏は、比叡山延暦寺に対しても気を使い守護職大名佐々木判官道誉に対しても気を使ったのでございます。

この行為事態が、大工の棟梁職の心髄でございます。

やはり慶應義塾大学ボーイのような、育ちが良い子弟の振る舞いが武家の棟梁職の心髄でございます。