天下人豊臣秀吉

天下人豊臣秀吉も、実力者ではあったが占いにも精を出していた。

安倍清明の子孫の陰陽師をスカウトして、豊臣秀吉専門の占い師として高い報酬額で雇い入れていた。

天下人豊臣秀吉も、最初は日吉丸🔴次にはただの猿🐒次には木下藤吉郎秀吉!次には豊臣秀吉と呼び名を変更した。

そして陰陽師の指示書通りに手相も変更する努力をした。

陰陽師は手相を変更する事で殿様の運命が開ことでしょうと云った。

そこで豊臣秀吉は、陰陽師が描いた手相の手本本を見ながら小刀で手本を書いて行った。

そして遂には陰陽師が描いた手相のような形に変更する事に成功した。

その後の豊臣秀吉の運命は花開き、武家を束ねる摂政関白殿下まで登りつめた。

しかし豊臣秀吉武家の棟梁職である征夷大将軍に就任したかった。

ところが征夷大将軍に就任するためには、源氏の系統でなければ朝廷からの指名書が発行されない。

そこで豊臣秀吉は考えた。室町幕府最後の征夷大将軍であった足利義昭の養子縁組をしようと画策した。

足利義昭には、百万石の領地を与えると云う破格の条件を呈示した。

ところが足利義昭も、武家の棟梁である。

源氏の嫡流である足利家を、百姓上がりの豊臣秀吉殿を養子に迎える事はプライドが許さないと云っては断った。

そこで豊臣秀吉は、仕方なく藤原摂政関白家の養子になった。

藤原摂政関白家では、金銀財宝に目がくらみ豊臣秀吉に対して藤原氏を与えた。

その後豊臣秀吉は、藤原秀吉に氏変更をして貴族の最高職摂政関白に就任した。