次男平宗盛が、大納言の右大将に就任する。
武官の最高職である近衛府の左右の大将を独占した。
この人事によって最有力候補である徳大寺実定は、近衛大将に就任出来なかった。
徳大寺実定卿は、生え抜きの貴族であり官職も右大臣に就任していた。
そして回りの貴族たちも、近衛府の大将も徳大寺実定卿が就任すると思っていた。
ところが蓋を開けてみると、平重盛と平宗盛兄弟が左右大将を独占してしまった。
そこで徳大寺実定卿は、ストライキと称して右大臣を辞任してしまった。
平家全盛期にあって平重盛と平宗盛の弟たちが続々と官職を独占していた。
徳大寺実定は云う。平家全盛期にあっては、我々貴族には官職は回って来ない。
そこで京都の山奥に移り住み和歌を詠んだりして過ごした。
徳大寺実定卿の妹は、天皇の皇太子殿下の妻になっていた。
妹姫は、兄徳大寺実定卿が宮を離れて山奥に移り住んだので寂しく暮らしていた。
そんな十五夜の在る日、月見をしながら琵琶を引いて心静かに日々の移り変わる情緒に浸っていた。
すると徳大寺実定卿が、妹姫の前に扇で顔を隠して現れた。
姫はとっさに云う。此れは夢かやうつつかやと云って扇で誘った。
その後には平重盛が、左大将を辞任したので徳大寺実定卿が左大将に就任した。
徳大寺家は、摂関家に次ぐ家柄であり大臣まで昇進出来る並の家柄だった。