新大納言藤原成親と云う貴族がいた。
新任の大納言であり、後々には右大臣や内大臣や左大臣に昇進したいと思わのが普通である。
しかし並の家柄の貴族では、大臣などの官職は所望しても無料である。
特に藤原成親は、貴族の中でも三流貴族であり本来的ならば大納言でも任命される事がない家の出身であった。
ところが藤原成親は、時の上皇陛下から可愛がられて官職も進み大納言まで昇進してしまった。
しかし三流貴族では、いくら上皇陛下から気に入られても大納言までが限界である。
そこで藤原成親は考えた。文官の最高職の大臣が無料が無料ならば、武官の最高職である近衛府の左大将や右大将の就任に色々な就任運動をした。
宮中の寺社や仏閣に賄賂や家来として召抱えると空手形を連派した。
詰まりは藤原成親は、寺社や仏閣の御祈りや加持祈祷の力によって官職を掴み取ろうとした。
そして狙い目を付けた官職が、近衛府の左大将と右大将であった。
この近衛府の左大将と右大将は貴族には人気があり、成りたくても誰もが就ける官職ではなかった。
藤原成親のような三流貴族は当然の事ではあるが、上皇陛下の力をしても無理であった。
そこで神仏の力を借りたのだった。
ところが神仏の力でも無理だと解ると、謀反を起こして混乱に紛れ込み武官の最高職を狙う事にした。
ところが謀反の企みが、時の権力者平清盛にバレてしまった。
そして藤原成親は、九州の最南端の島に流し者となった。
それから九州の最南端の島で余生を謳歌した。
貴族にとっては宮以外の地域には、住むと云う発想力がなかった。
この謀反人の嫡男藤原康頼は、近衛府の中将まで昇進した。