武士の道とは死ぬ事である。

平清盛は、武家出身でありながら初めて大政大臣従一位に就任した。

大政大臣は即決の官職であり、素晴らしい人物が居る時だけ置かれる。

普通ならば左大臣と右大臣そして内大臣たちが政務を司る。

平清盛が大政大臣に就任しただけではない。

息子で嫡男平重盛内大臣近衛府の左大将。


二男平宗盛が大納言兼近衛府の右大将兄弟揃って近衛府の左右大将に就任した。

この近衛府の左右大将は、どのお公卿さんも成りたい官職。

でも誰もが就任出来る官職ではない。

詰まりは二流や三流のお公卿さんでは就任出来る官職ではなかった。
そして就任出来た前例はと云えば、僅かに三回しかない。

その三回とも摂政関白家の息子さんたちだった。

近衛府の左右大将は、宮の武官は当然の事、全国の武士団に号令を掛ける立場にある。

当然の事ではあるが政治的に対立している競争相手方も潰す事が出来る。