平清盛が、政治権力の最高職大政大臣兼従一位と云う生え抜きの公卿と同じ立場に就任した。
また平家一門衆の人々も、生え抜きの公卿を飛び越して武官&文官の官職を独占したのでございます。
特に武官の最高職近衛府の左大将&右大将を平重盛&平宗盛兄弟が就任したのでございます。
この武官の最高職近衛府の左大将&右大将の官職は、誰もが就任したい官職でございます。
しかし生え抜きの公卿しか就任する事が出来ません。
この武官の最高職近衛府の左大将&右大将に武士出身の平家一門衆が独占したのでございます
この人事に対して異議申し立てをした人物が、藤原成親と云う三流貴族でございます。
藤原成親は、三流貴族ではありましたが後白河法王様のお気に入りの貴族でございます。
そこで官職も進み大納言職まで昇進していたのでございます。
しかし平家一門衆が武官の最高職近衛府の左右の大将を独占した為に謀反を企てたのでございます。
そしてある日、俊寛僧都と云う後白河天皇の側近の山荘で平家打倒の謀反を決行したのでございます。
しかし平清盛にばれてしまったので、謀反の宴会コースに参加した輩は皆逮捕されてしまいました。
この謀反の山荘を提供した俊寛僧都と云う人物の祖父は、大納言職を拝命する程の公卿でございました。
ところが怒りぽい人であり、自分自身の屋敷の前を通る人々に対してぷんぷん文句を云う怒りぽい人でございました。
こんな祖父の孫であったので、謀反の山荘を提供したのでございます。