令和4年3月11日の出来事❤❤❤

朝筋トレは百%達成でございます。

朝入酸素は寒くて後1時間後に達成予定でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然先生バンザイ🙌でございます。

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

戦国時代に日本國で3本の指に入る律儀者の武士が存在したのでございます。

織田上総介信長の親類縁者で尾張國岩倉城主に奉職していた家老職の山内一豊でございます。

岩倉織田家は、勢いがある清洲の織田上総介信長に騙し討ちの憂き目に遭遇したのでございます。

そして山内一豊は、2人の家臣筋を従えて仇の織田上総介信長を付け狙ったのでございます。

そして織田上総介信長に偶然に遭遇したのでございます。

しかし槍の名人である山内一豊は、織田上総介信長に対して手が震えて一歩も前に踏み込む事が出来なかったのでございます

山内一豊は悟りました。

織田上総介信長こそが、天下平定する唯一の武将であると云う事をでございます。

その後には織田上総介信長の家臣筋として、歴戦の勇士として槍働きで名を轟かせるのでございます。

そして直属の上司は、羽柴筑前守秀吉の陣に組み込まれたのでございます。

山内一豊は、羽柴筑前守秀吉の元で命を賭けて槍働きをしたのでございます。

しかし山内一豊は、真面目過ぎて頭を使う事が苦手意識を持ち合わせていたのでございます。

この山内一豊の頭の悪さを補って余りある功績を残したのが妻チヨでございます。

チヨは、山内一豊の事を旦那様と呼んていたのでございます。

チヨは頭が良く、回転も良く要領や器量も優れていたのでございます。

山内一豊に対して羽柴筑前守秀吉は思っていたのでございます

山内一豊は頭の悪さがあり、要領が悪過ぎである。

律儀者で槍働きだけは取柄であるが、今後は頭の回転が良くないと出世出来ないと云っていたのでございます。

しかし山内一豊は、良い妻を娶る事が出来たから出世街道から脱落する事が無いとチヨを褒め称えたのでございます。

羽柴筑前守秀吉は、人を見る目には長けた人物でございます。

そして山内一豊は、関ヶ原の戦いでは徳川家康方に味方して土佐國24万石の太守に就任したのでございます。

時の人は噂したのでございます

土佐國24万石の太守は、山内一豊では無く正室チヨでございますと。

私自身も、要領の良い新妻を娶りたいのでございます。

そして肥前國35万石の県知事に就任したいのでございます。