令和4年1月10日の事【2】

朝台湾バナナ🍌100%は達成したのでございます。

ところが冷蔵庫が存在しないので、台湾バナナ🍌が腐っていたのでございます。

しかし腸内トレーニングの結果腹の調子は絶好調でございます

筋肉トレーニング&体操は80%は達成したのでございます

朝入酸素運動は80%達成でございます。

今日の入酸素運動は、ウオキングでございます。

県営住宅では、自転車漕ぎや足踏み昇降運動などを実行すると叩き出されてしまうのでございます。

千葉県九十九里海岸通りの館ならば、近所には化け物しか存在しないのでうるさいと叱り付けられる心配性はございませんでした。

我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経を実行したのでございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

南無阿弥陀仏の名号には、不思議な力が数多存在するのでございます。

あの弘法大師空海も、密教の秘宝を獲得した大偉人でございます。

呪詛&祈祷などの行為によりて主上を天まで昇降させるのでございます。

しかし密教の秘宝を獲得した弘法大師空海は、顕教南無阿弥陀仏にも秘宝が備わっていると説いているのでございます。

そこで密教の修行僧と念仏修行僧は、互いに連絡先を交換していたのでございます。

あの天下統一を目指していた織田上総介信長を一番に苦しめたのが、我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派でございます。

元々は西本願寺派東本願寺派と云うのは存在しなかったのでございます。

豊臣秀吉が、本願寺派の力を裂くために一向宗を西と東に分割したのでございます。

江戸幕府を創設した三河国徳川家康も、三河国一向宗に悩まされ続けたのでございます。

徳川家康の家臣筋の中には、一向宗門徒が数多存在した為に主君筋の徳川家康の陣に参集する事を拒み一向宗門徒側の武将として参加したのでございます。

あの徳川家康の側近くに存在した本多正信などは一向宗門徒側の武将として、主君筋徳川家康に敵対したのでございます。

そこで一時的には、徳川家康の陣に参集する事が出来ずに浪人生活をしていたのでございます

とにかく一向宗門徒の合戦振りは、死ぬ事を恐れる気配が無く自分自身から死にたいと云いながら武将に近ずいて来るのでございます。

敵対する武将も、一向宗門徒や僧侶を斬り殺す事には抵抗が存在したのでございます。

やはり僧侶を斬り殺すと、死んだ後に地獄行きが確実だからでございます。

織田上総介信長も、武田信玄上杉謙信足利将軍家義昭&毛利家も怖い怖い怖い存在でございます。

しかし所詮は織田上総介信長と同じ武士階級でございます。

武士同士ならば、相手方が考える事は想像力が働きます。

でも一向宗門徒は、とにかく死ぬ事呑みに執着して死ぬ事を少しも恐れる気配が無いのでございます。

欲が無く掴み所が無い宗教家が一番に厄介だったのでございます。

其れに対して織田上総介信長が比叡山延暦寺に対して焼討したり、僧侶や家族👪を皆殺しにした時には性欲&名誉欲&物欲&食欲の固まりの僧侶ばかりでございました。

だから織田上総介信長も、比叡山延暦寺の焼討に対しては余り抵抗心は存在しなかったのでございます。

しかし織田上総介信長の家臣筋たちは、僧侶を斬り殺すには相当に抵抗心が存在したのでございます。

あの人殺しが苦手分野な豊臣秀吉などは、家臣筋に命令して僧侶や家族👪を黙って逃していたのでございます。

この豊臣秀吉の行為に感動した神仏が、後々に豊臣秀吉武家の棟梁に導き出したのでございます。

その豊臣秀吉の行為も、戦国時代のアーティスト的な軍師竹中半兵衛重治の指示書通りに動いたのでございます。

竹中半兵衛重治は、五人の軍勢で難攻不落な主君筋の岐阜城🏯の乗っ取りに成功したのでございます。

ところが竹中半兵衛重治は、岐阜城🏯を治める事も無く主君筋の斎藤龍興に返還してしまったのでございます。

美濃国の民人は、斎藤龍興では無く竹中半兵衛重治に統治して貰いたいのでございます。

しかし竹中半兵衛重治は、岐阜城🏯を主君筋斎藤龍興に返還すると山奥に入り読書三昧の生活スタイルに入ってしまったのでございます。

この山奥の生活スタイルを献身的に支えたお手伝いさんが後々の妻でございます。

このお手伝いさんは、竹中半兵衛重治の事を好いていたのでございます。

私自身も、好いて下さる女子が存在するならば速攻で妻に娶りたいのでございます。