令和4年2月7日の事【3】

朝入酸素運動は8割が実践済みでございます。

内容的には、5キロメートルの散歩でございます。

筋肉トレーニング&体操は8割がた実践済みでございます。

内容はダンベル上下運動の遂行でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経の遂行でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然上人バンザイ🙌でございます。

我が事業の成長軌道は間違い無しでございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

その理由は、新妻が現れたからでございます。

其れも夢の中でございます。

夢占い師に占って貰いました。

すると近々、私自身の前に新妻が現れて来るようでございます

江戸時代の末期に、薩摩藩とイギリス人との間で事件が勃発したのでございます。

その事件とは、生麦事件でございます。

薩摩藩が参勤交代の途中で、相模國生麦を通過していたのでございます。

薩摩藩主を守護しながら、薩摩藩士が廻りを固めて仕来りに従い薩摩國を目指していたのでございます。

そんな時に、前から馬🐎に乗った外国人が近ずいて来るのでございます。

薩摩藩士は、仕来りに従いイギリス人に対して下馬して畏まるように求めたのでございます。

しかし外国人は、下馬する事も無く大名行列の横を通過したのでございます。

この外国人の行為は、武家所法度に違反する行為に該当するのでございます。

そこで薩摩藩士は、薩摩示現流の達人がイギリス人を見事に斬り裂いたのでございます。

イギリス人は、イギリス國の外交官でございました。

イギリス國は、直ぐに江戸幕府に対して薩摩藩士の引き渡しを要求したのでございます。

しかしながら江戸幕府の権威は無くなり、特に独立心の強い薩摩藩に命令する事は出来なかったのでございます。

イギリス國は、世界一強靭なイギリス艦隊を薩摩湾に派遣したのでございます。

九州地区の各藩は、どの藩も武力行使では引けをとらない武闘派揃いの藩ばかりでございます

我が家の佐賀鍋島藩も、例外ではございません。

しかし佐賀鍋島藩藩士は、ハッタリが強く最終的には総崩れになる傾向が強かったのでございます。

でも薩摩藩熊本藩小倉藩福岡藩などは、國事態の人々が武闘派揃いでございます。

水戸黄門と云うドラマで、北九州地区の小倉に到着したのでございます。

すると弥七が妻のおしんに云ったのでございます。

この辺りの人々は、気性が荒い事で知られているぞ。おしん気をつけろよ。とアドバイスしていた程でございます。

そんな武闘派揃いの薩摩藩にイギリス艦隊が攻め込んで来たのでございます。

薩摩藩士は、イギリス艦隊の軍人に対して日本刀で斬り込んで行くのでございます。

しかしイギリス艦隊の兵器は最新鋭機でございます。

イギリス人は、討ち果したのですが薩摩隼人は倒れる前にイギリス人一人を殺傷して息絶えたのでございます。

この薩摩隼人の攻撃能力に対して、イギリス軍の司令官は、傍らにいた軍人に云ったのでございます。

日本國には、このような武士団が三百藩も存在すると聴いたぞ

この薩摩藩との合戦には、最終的には我がイギリス艦隊の勝利に終わる。

しかし我がイギリス艦隊の損害も甚大であると云ったのでございます。

そこで薩摩藩とイギリス艦隊との和解交渉事が成立したのでございます。

この時の薩摩藩の働きによりて明治時代に日本軍とイギリス軍の条約がスムーズに成立したのでございます。

因みに我が家の惣領家も、薩摩藩と有馬藩の連合軍に敗北したのでございます。

その結果、我が家は鍋島弾正忠家の足軽大将5石取りの家臣筋になったのでございます。

足軽大将とは名前ばかりであり5石取りでは生活苦であり内職と兼業して生計を維持していたのが現状でございました。