令和4年1月27日の事【2】

朝入酸素運動は85%でございます。

内容は徒歩で30分間散歩したのでございます。

筋肉トレーニング&体操は80%でございます。

筋肉トレーニング&体操の内容はダンベル3キログラムの上下運動二百回の実践でございます。

我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は80%でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然上人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

我が事業の急上昇気流に遭遇する事は間違い無しでございます

我が家に置いてある系図には、西行法師の名前が記載されているのでございます。

職業は、衛門府の尉兼務院に奉職する北上面の武士と記載されているのでございます。

また追記として、或る事件を契機に出家して西行と名乗る。

そして歌人勧進帳を持ち各地域を流浪すると云う記載があるのでございます。

我が家の先祖は、西行法師の甥に当たる家筋のようでございます。

我が家の先祖が、鎌倉幕府から九州地区の肥前國佐賀荘の地頭職に補任された時に祝いと称して佐賀に来てくれた旨の記載が存在するのでございます。

その時に西行法師は、自分自身の娘も共に連れて来て我が先祖の家に養女としたのでございます。

ところが我が先祖の家に、男子が誕生しなかったのでございます。

この危機的状況を乗り切る契機となったのが、何と西行法師が置いて行った娘の存在でございました。

養女の娘に素晴らしい婿を近隣の有力者である、鍋島荘の地頭職の三男坊を婿養子にしたのでございます。

此れによりて鍋島弾正忠家と我が先祖は、親類縁者の関係者と変貌したのでございます。

其れ以降は、我が先祖と鍋島弾正忠家とは同じ肥前國の地頭職同士として対等な関係性を維持したのでございます。

鍋島弾正忠家の先祖は、近江國の佐々木家の一門衆でございます。

また或る系図には、太宰府の地方長官職太宰府の少弐職の一門衆との記載がございます。

何方らの系図が信憑性が存在するのか分からないのでございます。

もしも近江國の佐々木家一門衆とするならば、あの室町幕府の創設者であり謀反人足利治部太夫尊氏の親類縁者でございます

一方で太宰府の地方長官職太宰府の少弐職の親類縁者であるならば、藤氏でございます。

何方らにしても、佐々木家系統ならば源氏でございます。

また太宰府の少弐職系統ならば我が先祖と同じ藤氏でございます。

其れもうだつが上がらない藤原南家系統でございます。

藤原南家系統は、同じ藤原鎌足と息子藤原不比等を子孫でありながら武家貴族階級の身分の家筋の人々でございます。

あの平将門を討伐した際の副大将藤原秀郷も、地方の国司を歴任した藤原南家の家筋でございます。

因みに我が先祖は、系図上では藤原秀郷流でございます。

藤原秀郷は、平将門を討伐した恩賞によりて4位に任命されたのでございます。

そして藤原秀郷は、地盤の関東地区下野國の領地から京都に地盤を移動させたのでございます

その子孫は、関東地区と京都の地域で繁盛したのでございます

京都地区で繁盛した子孫が、我が家や西行法師の一門衆でございます。

我が家に存在する家系図の信憑性は定かではございません。

しかしながら九州地区の武家は京都から遠く官職を得る為に偽造家系図の作成の必要性が少なかったのでございます。