朝筋トレは8割は達成したのでございます。
朝入酸素は8割は達成する予定でございます。
朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成でございます。
親鸞先生バンザイ🙌でございます。
法然先生バンザイ🙌でございます。
我が家の再興は間違い無しでございます。
我が事業の成功は間違い無しでございます。
鎌倉時代には、異国人が我が國に攻め入り九州地区の武士団は博多湾の警護役に駆り出されたのでございます。
しかし警護役として勤務しても金銭的な援助や領地を貰える事もなかったのでございます。
そこで博多湾の警護役を引き受けると、商人から借金をして金銭的な事を賄っていたのでございます。
しかし鎌倉幕府執権職北条右京大夫高時は、闘犬に夢中であり政治は全部北条家執事職長崎氏に丸投げしていたのでございます。
この長崎氏も、自らの保身や領地拡張に精を出し諸国の御家人保護を蔑ろにしたのでございます。
そして鎌倉幕府の筆頭御家人であり、源氏の氏の長者足利治部太夫尊氏が謀反を決行するのでございます。
足利治部太夫尊氏は、諸国に散らばる足利家一門衆を秘かにかき集めていたのでございます。
その軍勢は、5万騎馬でございます。
そして足利家一門衆が数多存在する三河國で、足利治部太夫尊氏は自分自身の本心を披露するのでございます。
また足利治部太夫尊氏と違う系譜の源氏系統の武士も数多付き従っていたのでございます。
あの婆沙羅大名の佐々木判官道誉などは、源氏系統でも宇多天皇陛下の源氏系統でございます
足利治部太夫尊氏は、5万騎馬の軍勢の中で演説を披露したのでございます。
今から攻め入るのは、楠兵衛正成では無く鎌倉幕府の出先機関北・南六波羅探題であると云ったのでございます。
足利治部太夫尊氏の演説を聴いていた武士団は、拍手喝采でございます。
皆源氏系統の武士団は、平家筋の北条氏に反感を抱いていたのでございます。
そして足利治部太夫尊氏の5万の軍勢は、六波羅探題を目指して進軍したのでございます。
六波羅探題を守護する武士は、足利治部太夫尊氏が来た事を歓迎したのでございます。
ところが足利治部太夫尊氏の5万の軍勢は、何と六波羅探題に攻め込んだのでございます。
この知らせを聴いた鎌倉に居た執権職北条高時と執事職長崎氏は、目を合わせて云ったのでございます。
足利治部太夫尊氏が総大将として引き連れていた武士は、皆が源氏系統ぞ。
そして鎌倉に残る我々は、皆が平氏ぞ。
執権職北条高時は、執事職長崎氏の政治判断の失敗に気付いたのでございます。
足利治部太夫尊氏のような源氏系統を、野に放した事の失敗に気付いたのでございます。
しかし気付いた時には、関東地区に居た源氏系統の新田義貞が鎌倉目指して攻め込んでいたのでございます。
鎌倉には新田義貞が攻め込み、六波羅探題には足利治部太夫尊氏が攻め込むと云う源氏系統同士の連携が功を奏したのでございます。