令和4年3月18日の出来事❤❤❤

朝筋トレは8割方達成でございます。

朝入酸素運動は今かは実行する予定でございます。
雨☔が降り続いています。また寒いです。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は実行したのでございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然先生バンザイ🙌でございます。

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

鎌倉幕府執権職北条家は、荒々しい関東地区の武士団に対して異国人との接触する最前線九州地区に強い武者を配置したのでございます。

一方で薩摩國には、隼人族と云う元々から荒々しい部族が数多存在したのでございます。

そこに源頼朝の息子を、しれっと紛れ込ませて薩摩國の守護職として配置したのでございます

源頼朝の妻は、三代女傑に入る北条政子でございます。

北条政子は、実家北条家を見捨てる形で流人生活の源頼朝伊豆山神社に手を取り合い駆け落ちしたのでございます。

まだまだ平家全盛の世の中でございます。

北条政子の駆け落ちは、実家北条家を取り潰しかねない危ない行為でございます。

しかし北条政子の駆け落ちは、結果的には北条家の運命を切り開く契機となったのでございます。

しかし当時の北条家は、源頼朝の陣に集める事が出来る人数は50騎馬程でございます。

伊豆國の北条家は、其れ程度の家筋の武士階級でございます。

その北条家が、自分自身の家より由緒正しい武家を騙し討ちにしたり毒物殺人事件を起こしたりして執権職に就任したのでございます。

しかし源九朗判官義経が、源頼朝と仲違いして奥州藤原氏を頼る時に妻静香御前だけが逮捕されてしまったのでございます。

そして鎌倉に引き連れられて、源頼朝の前面で白拍子として舞を強要されたのでございます。

静香御前は、鎌倉幕府御家人たちが居並ぶ前で何と源九朗判官義経を慕う舞を舞ったのでございます。

源頼朝は、静香御前を殺すように命令したのでございます。

ところが北条政子は、源頼朝と駆け落ちした事を鎌倉御家人の前で披露したのでございます。

源頼朝も、ばつが悪くなり静香御前の命を助けたのでございます。

しかし源頼朝が、北条政子以外の女子に産ませた子供には厳しい態度で接したのでございます

そこで源頼朝の隠し子は、全て他國の守護職として鎌倉から離したのでございます。

その1人が、薩摩國の守護職として赴任した島津家でございます。

もう1人が、常陸國の守護職に指名された小田【八田】と云う名目上では宇都宮家の一門衆の1人でございます。

ところが常陸國には、由緒正しい武家が数多存在していたのでございます。

その由緒正しい武家を飛び越えて、小田氏が國のトップに就任したのでございます。

北条政子は、大いに怪しく思うのでございます。

しかし北条政子と宇都宮家は、親類縁者の間柄になっていた関係上有耶無耶になっていたのでございます。

北条政子と云う妻は、源頼朝にとっては50年の豊作でございました。

私自身も、50年の豊作となる妻を早く妻にしたいでーす❤❤❤