令和4年2月22日の出来事【1】

筋肉トレーニング&体操は8割達成でございます。

朝入酸素運動は8割達成でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は8割は達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然先生バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

足利治部太夫尊氏は、鎌倉幕府御家人中の御家人でございます。

もう1人鎌倉幕府の創設者源頼朝が伊豆國に流罪になった時に落ち目になった源氏に付き従った安達家も筆頭御家人でございます。

しかしながら足利家は、源氏系統の中でも血筋が良く鎌倉時代には血筋の良し悪しで家の惣領家が決まっていたのでございます。

しかし鎌倉幕府の実力者北条得宗家高時は、政治に無関心であり闘犬ばかりに熱中していたのでございます。

北条得宗家一門衆は、実力者でありながら相模守兼務五位以上は望む事はなかったのでございます。

しかし北条高時は、従2位兼務右大臣を所望したのでございます。

ところが鎌倉幕府の筆頭御家人足利治部太夫尊氏と安達泰盛は大いに反対したのでございます

どんなに鎌倉幕府の実力者北条得宗家高時も、鎌倉筆頭御家人の足利治部太夫尊氏と安達泰盛が反対した為に官職の所望は諦めたのでございます。

しかしながら得宗北条高時は以降は足利治部太夫尊氏と安達泰盛に対する嫌がらせがエスカレートしたのでございます。

そんな時に畿内地区で不穏な動きが始まったのでございます。

其れは楠兵衛正成と云う武士が後醍醐天皇陛下の求めに応じて夜襲を六波羅探題に仕掛けたのでございます。

楠兵衛正成は、一様は鎌倉御家人でございました。

しかし北条得宗家高時の無能な政治によりて、副業しなければ生活出来無い状態でございました。

そこで畿内地区の鎌倉御家人仲間で、運送業を開業したのでございます。

ところが鎌倉得宗北条高時運送業の利益に対して税金を要求して来たのでございます。

この楠兵衛正成たちの不穏な動きに対して、北条得宗家高時は足利治部太夫尊氏を総大将に指名して、楠兵衛正成を討つように命令したのでございます。

この楠兵衛正成の討伐軍は、何と皆が源氏系統の武士団だったのでございます。

足利治部太夫尊氏は、覚悟を密かに決意したのでございます。

我々討伐軍に参陣した武家は、皆が源氏系統であるぞ。

平氏系統の北条得宗家高時を攻め落とすには今がチャンス到来と心の中で思っていたのでございます。