令和4年3月17日の出来事❤❤❤

朝筋トレは百%は実行済でございます。

朝入酸素は後2時間後に行う予定でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は実行済でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然先生バンザイ🙌でございます。

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業の成功は間違い無しでございます。

源頼朝と13人の仲間たちは面白いでしょうか?

私自身は、NHKに受信料金を払う事が出来ずにテレビ📺を質に取られてしまったのでございます。

だから大河ドラマを観る事が出来無いのでございます。

後白河天皇陛下の第2皇子様以仁王を源三位入道頼政が唆して平氏打倒の令旨を発行させたのでございます。

その内容は、諸国に散らばる源氏の系譜の武士に対しての謀反の誘いでございます。

しかし源三位入道頼政の謀反が平清盛にばれてしまったのでございます。

そこで源三位入道頼政は、以仁王を守るながら奈良の興福寺春日大社に援軍を求める為に向かったのでございます。

しかし平氏方は、大軍勢を催して源三位入道頼政を追いかけるのでございます。

そして宇治川で、源三位入道頼政に追い付いたのでございます

しかし春の宇治川は、水量も数多流れていて平氏方も渡る事が出来ずにいたのでございます。

平氏方の侍大将各の武士が、総大将に進言したのでございます

川の流れが穏やかな下流に行き渡る事が良いのではないかと云ったのでございます。

すると関東地区から平氏方に味方していた足利太郎忠綱と云う武士が云ったのでございます。

この足利太郎忠綱は、源氏系譜の足利家とは系譜が異なる武士団でございます。

我が家系と同じ藤原秀郷流の家筋の武者でございます。

足利太郎忠綱は、平氏方の侍大将各に向かって訓示を垂れたのでございます。

我が関東地区では足利家と秩父家は、利根川を挟んで合戦ばかりしていたのでございます。

在る合戦の時に、好がある新田入道と云う武士に加勢を依頼したのでございます。

新田入道も承諾して、いざ加勢に出掛けようとすると利根川を渡る船が無いのでございます。

大将の新田入道は、家臣筋に大演説を披露したのでございます

他人様に援軍を頼まれながら、渡る船がありませんでしたと云えるものでは無い。

そんな事をすれば、我が家の恥辱である。

利根川の川に流さて死ぬならば其れで良い。

死ぬば死ぬと云いながら、利根川を馬🐴で渡したのでございます。

日本一の利根川を渡す意志があったから渡す事が出来たのです

この宇治川の水流が強くても、武士が馬🐴で渡す事は可能でございます。

そして足利太郎忠綱は、三百騎馬を並べ立てて一騎馬も失う事無く渡したのでございます。

この時足利太郎忠綱は、若干18歳でございました。

東武者とは、合戦のスタイルもドライでございます。

家来筋が首を斬られそうな時にも、助ける事はせずに敵将の首を取りに行くのでございます。

また先に進む時にも、民家に火を掛けて灯りで進んで行くのでございます。