令和4年1月22日の事【4】

大半の人々は、今は源頼朝と13人の仲間たちの大河ドラマを視聴中だと思うのでございます

源頼朝は、京都にも屋敷を持ち武家貴族階級として他の貴族階級とも親交がございました。

しかしながら源頼朝と13人の仲間たちの大半は、貴族が地方の武士を手懐ける方法として朝廷から衛門府の番人のような役職を3年間与えて肩書に使用可能な待遇をしたのでございます

大判役勤務を終了した地方出身の武士たちは、先祖代々朝廷から頂いた役職を肩書に使用したのでございます。

13人の仲間たちは、関東地区の大大名であり先祖は坂東平氏でございます。

しかし関東地区は、宮から遠く貴族階級が国府に赴任する時に京都風の文化に触れるしか機会が無いのでございます。

毎日毎日の生活スタイルは、田畑を耕し治水や時には隣地の武士団と隣地境界争いで合戦すると云う生活スタイルでございます。

下野國の住人で新田入道と云う源氏系統が存在したのでございます。

利根川を挟んで足利家と秩父家が、合戦に及んだのでございます。

足利家も源氏系統であり、新田入道は同じ源氏系統のよしみも有り足利家に加勢する事になったのでございます。

そこで新田入道は、舟で秩父家の軍勢を攻め立てようと考えたのでございます。

ところが舟を、秩父家に調達されてしまったのでございます。

渡る舟が無くなった新田入道は家臣筋に云ったのでございます

他人から合戦の援助を頼まれながら、渡る舟が有りませでしたと云えるわけが無い。

もし渡る事が出来ずに、合戦の援助が出来ませんでしたと云えるもんじゃ無い。

そんな事になれば、末代までの一家一門衆の恥であるぞと云ったのでございます。

新田入道は、家臣筋を励ましました。

利根川を舟が無くて渡る事が出来ませんでしたと云えるもんじゃ無い。

とにかく死ぬ気で渡せ渡せと云って全ての家臣筋が、坂東太郎【利根川】と云う大河を舟無しで渡したのでございます。

坂東地区の武者は、勉強よりも恥を嫌い勇猛さを誇りたがる傾向がございます。

源頼朝と13人の仲間たちも皆勉強嫌いで野蛮な輩でございます。

京都の公卿集団が一番嫌いなタイプは野蛮なタイプの人々でございます。