令和4年2月11日の事【3】

源頼朝と13人の仲間たちの大河ドラマは面白いのでしょうか

私自身は、NHKに受信料を納入出来ない為に我が館にはテレビ📺が存在しないのでございます

誰かテレビ📺ジョンを買って下さいませ。

詰まりは新妻が欲しいと云う事でございます。

そして4百年継続して来た我が家を、私自身の代で潰す事は出来ないのでございます。

我が家は、鎌倉幕府から九州地区の佐賀市の地頭職を拝命した中クラスの家筋でございます。

当然の事ではございます。

武家階級の風俗に従い、公文書には藤氏を使用します。

しかしながら武家階級の慣習として、自分自身の領地の地名を呼び名にするのでございます。

我が家の先祖も、当然の事ではございますが地名を呼び名に使用したのでございます。

しかしながら朝廷に提出する公文書には、藤原何某と花押を押したのでございます。

我が家は、戦国時代までは運気が良かったのでございます。

鎌倉時代を通じて九州地区佐賀の地頭職を拝命しています。

また足利治部太夫尊氏が率いる武家と、後醍醐天皇陛下が率いる楠正成殿や新田義貞殿の何方方に味方する時に足利治部太夫尊氏方の武家として参画したのでございます。

この時の判断は、間違いでは無く最善の選択だったのでございます。

一様は後醍醐天皇陛下方の南朝と、足利治部太夫尊氏方を支持する北朝方に分裂はしました。

しかしながら足利治部太夫尊氏方に味方する武家は数多存在したのでございます。

我が家も、当然の事でございます。

足利治部太夫尊氏方の陣に馳せ参じたのでございます。

しかしながら九州地区では、肥後國の守護職の菊池氏は後醍醐天皇陛下方の武将として我が先祖の館に奇襲🏯を仕掛けたのでございます。

我が先祖も、鎌倉幕府御家人でございます。

日々の武家としての鍛錬を怠らなかったので、菊池氏の奇襲🏯を避ける事が出来たのでございます。

そして引き続き九州地区佐賀の地頭職を、室町将軍から拝命したのでございます。

しかしながら我が先祖の働きは対しては、もう少し恩賞があって良かったと思うのでございます。

我が先祖の領地は、鎌倉時代から室町時代を通じて増減無しでございます。

足利治部太夫尊氏様、少しは九州地区の武家の待遇改善をお願い申し上げたい気持ちでございます。

宜しくお願い申し上げます。