令和4年2月11日の事【2】

戦国時代に、常陸國の守護職を歴任した小田氏と云う名門武家が存在していたのでございます

常陸國には、国府大掾職を世襲した武家貴族が存在したのでございます。

この家筋は、先祖は平国香でございます。

平國香は、皇族を離脱して平姓を賜り臣下になり上総介と云う役職に就任したのでございます

この武家貴族平國香を先祖に頂くのが、大掾氏でございます。

また常陸國には、源氏系統の名門武家が存在するのでございます。

その名は佐竹氏でございます。

この武家も、鎌倉時代から室町時代そして戦国時代にも活躍した武家でございます。

そして最終的には、江戸時代には常陸國から秋田県の大名に左遷されたのでございます。

そこで佐竹氏は、江戸幕府に対抗して常陸國の美人の女子をかき集めて秋田県に移住したのでございます。

また常陸國の名物である納豆も秋田県に納豆職人を調達したのでございます。

水戸中納言光圀様が、水戸に行く事が決定したのですが佐竹氏が常陸國の良い物全て調達していたのでございます。 

江戸城にて秋田県藩主佐竹氏と水戸藩主水戸中納言光圀は、挨拶しながら火花放電していたのでございます。

その中で小田氏が、鎌倉幕府征夷大将軍源武官の最高職近衛府の右大将に常陸國の守護職に指名されたのでございます。

源頼朝は、北条政子と云う運気アップの恩人であり正室が在りながら何人の女子と肉体関係を結んでいたのでございます。

その源頼朝の子供である男子が鬼嫁北条政子から守る為に、宇都宮家に養子として出したのでございます。

源頼朝は、息子小田【八田氏】を常陸國の守護職に指名したのでございます。

其れ以降は、常陸國の守護職を小田氏は歴任したのでございます。

小田氏は、現在のつくば市辺りを領地としていたのでございます。

戦国時代には、敵将から攻め込まれないように山城が主流でございます。

ところが小田氏は、鎌倉時代からの平場の城で合戦していたのでございます。

平地の城は、攻め易く守り辛いと云う特徴がございました。

そこで小田氏は、合戦では連敗でございます。

ところが何故か助かる武将が居て、不死鳥のように蘇るのでございます。

そこで小田氏の事を、尊敬を込めて常陸國の不死鳥と囁やき遭ったのでございます。