令和4年3月30日の出来事🍀❤❤

朝筋トレ9割方は達成したのでございます。

朝入酸素は今から実行するのでございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%は達成するのでございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞聖人バンザイ🙌でございます。

法然聖人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業のぷち成功は間違い無しでございます。

九州地区の鎌倉時代からの名門豊後國の守護職を拝命した大友氏と云う武家が存在するのでございます。

大友氏は、元々の先祖は相模國の武士団でございます。

しかし源頼朝は、大友家に九州地区に行くように命令したのでございます。

大友氏は、渋々ではございますが征夷大将軍職の御命令でございます。

しかし九州地区に移動する条件としては、地頭職では無く守護職での移動を所望したのでございます。

源頼朝は、大友氏の要望を前面的に受け入れて豊後國の守護職に指名したのでございます。

その後大友家は、鎌倉時代から室町時代に掛けて守護職を歴任したのでございます。

しかし戦国時代に突入すると実力本位の風潮の中で、隼人族の流れを汲む薩摩國の島津家が勢力圏を拡大したのでございます

大友家が守護職を拝命していた豊後國にも、島津家は侵入して来たのでございます。

大友家の惣領家宗麟と云う人物は、キリスト教に深入りし過ぎた結果家臣筋の大半は島津家に寝返ってしまったのでございます。

しかし大友家の家臣筋の中でも歴戦の勇士二人は、先祖伝来の主君筋大友家を見捨てる事をしなかったのでございます。

その二人は、高橋紹運と立花と云う武者でございます。

落ち目の大友家を、九州地区の中でも最強の軍事集団島津家の北上を食い止めていたのでございます。

若い頃に高橋紹運は、近隣の武者の娘と婚約事を取交していたのでございます。

しかし高橋紹運は、島津家との合戦合戦に明け暮れて結婚式が延び延びになっていたのでございます。

そんな時に婚約者が重い病に侵されて、美貌だった顔が変形してしまったのでございます。

婚約者の父親は、高橋紹運に対して云ったのでございます。

娘の顔が変形して、高橋紹運との約束事を果たす事が出来無くなってしまいました。

そこで今回の婚約者を解消するように求めて来たのでございます。

すると高橋紹運は、娘の父親に云ったのでございます。

私は娘の顔に惚れ込んだ訳では無く、気持ちに惚れ込んだのでございます。

顔が崩れようが自分自身の気持ちは変わらない旨を回答したのでございます。

二人は結ばれる事となり、晴れて夫婦関係になったのでございます。


この二人が産んだ子供が、合戦で一度も負けた事が無い立花宗茂と云う武者でございます。

また徳川家康と懇意な関係性がありながら、亡き豊臣秀吉の計らいで柳川18万石の大名に取立てられた恩義に報いる為に敢えて石田三成の陣営に付いたのでございます。

しかし石田三成方は大敗北でございます。

立花宗茂も、柳川藩を改易されて浪人生になったのでございます。


ところが18年間の浪人生活を経て旧領地の柳川藩に返り咲いたのでございます。

私自身も、立花宗茂のような九州男児に成りたいものでございます。