私自身の性格的傾向を考える事

我が先祖は、鎌倉幕府から佐賀の地頭職を拝命した一門衆でございます。



地頭職は、守護職の下のクラスでございます。



現在風に云うと、守護職は県知事に該当し地頭職は市町村長に該当します。



我が先祖は地頭職であり、現在風の県知事クラスでは無く市町村長の頭の地位に該当します。



鎌倉時代室町時代には、肥前国守護職少弐氏の被官として下働きをして一族郎党を維持して来たのでございます。



ところが戦国時代に突入して、一介の諸国一見の僧が美濃国のが国主に就任する世の中に突入する時代になりした。



伊勢新九郎と云う室町幕府で取次役をしていた武士が、何と相模国伊豆国の2カ国の戦国大名に名乗りを上げる世の中に突入したのでございます。



我が先祖の武家も、地頭職クラスの武家から戦国大名クラスの武家として名乗りを上げたのでございます。



しかし九州地区には、当時のバテレンと云う異国人が鉄砲や火薬など最先端技術の武器を呈示して九州地区の戦国大名に取り入ようとしていたのでございます。



当時の九州の武家は、外国伝来の武器を手に入礼るためにバテレンたちを積極的に街に引き入れてキリスト教の布教活動を認める大名が数多存在していたのでございます。



豊後国守護職大名大友家も肥前国守護職大名有馬家も同じ一族の大村家なと、キリスト教と引換券にバテレンの武器や弾薬庫を積極的に取り込む武家が数多存在したのでございます。



その中で我が先祖の地頭職家は、大の異国人嫌いで有名でありバテレン人を観ると斬り殺す事で九州地区では有名であリました。



また薩摩の守護職大名島津家も、大の異国人嫌いで有名であリました。



しかし薩摩の島津家なとは、自分自身は異国人嫌いであリましたが支配地区の種子島の地頭職を使い間接的にバテレンの武器弾薬庫を思いのままに駆使していたのでございます。



でも我が先祖は、真から異国人嫌いの精神であリました。



そこで自分自身の息子を肥前国守護職有馬家から妻を娶り、婿殿を通してバテレンの武器や弾薬庫を窃取したのでございます。



しかし間接的なバテレン人との関係性は、やはり異国人には通用しなかったようでございます



我が先祖は、糖尿病患者として太り過ぎた事もあリましたが異国人を嫌う性格から優れた武器や弾薬庫を確保する事が出来ないために有馬家と島津家から成る連合軍に敗北したのでございます。



この我が先祖からのDNAを受け継ぐ事になった私自身が、現在の外国人移民政策に溶け込む事が出来ない要因でございましょうか?