室町期に武家出身者の間でバサラと云う風俗が流行ったのでございます南無阿弥陀
バサラとは今迄の習慣に囚われる事無く自由に生きる風俗でございます南無阿弥陀
バサラ大名の筆頭各が近江國の守護職大名佐々木判官道誉でございます南無阿弥陀
そして美濃國の守護職大名多治見氏と土岐氏でございます南無阿弥陀
しかしながら九州地区の武家出身者は、京都から離れていた為にバサラ大名は皆無でございます南無阿弥陀
我が先祖も九州地区佐賀荘園地頭職を拝命していた人物でございます南無阿弥陀
しかしながら九州地区ではバサラ的生き方は流行りませんでした南無阿弥陀
ところがバテレン人が数多九州地区に上陸していたのでございます南無阿弥陀
そこで九州地区の武家出身者は、何と南蛮教を招き入れるのでございます南無阿弥陀
要するに外来風に染まるのでございます南無阿弥陀
そして九州地区の武家出身者は南蛮人と南蛮貿易に精を出すのでございます南無阿弥陀
そこで九州地区の各地に南蛮人の教えが数多拡がるのでございます南無阿弥陀
特に豊後國の守護職大名と肥前国の有馬氏&大村氏などは南蛮人に騙されたのでございます南無阿弥陀
そんな九州地区の状況化で唯一無二に南蛮人との付き合いを拒絶した武家が我が先祖でございます南無阿弥陀
其の血筋の影響でございましょうか南無阿弥陀
私自身もバテレン人は好きになる事が出来ないのでございます南無阿弥陀
やはり血筋に抗う事は出来ないのでございます南無阿弥陀
しかしながら我が国の密教&顕教に親しんでいるのでございます南無阿弥陀
其の結果として日夜極楽浄土を願いながら南無阿弥陀を唱える念仏三昧生活スタイルを送っている次第でございます南無阿弥陀
要するに念仏三昧生活スタイルを実践すると云う事は厳しいのでございます南無阿弥陀
しかしながら念仏三昧生活スタイルは云う事は易しく行う事は困難でございます南無阿弥陀
其れを実践する事が修業三昧生活スタイルでございます南無阿弥陀
南無阿弥陀
南無阿弥陀