令和4年2月8日の事【3】

源頼朝から、源九朗判官義経が憎まれて鎌倉入りを許されなかったのでございます。

其れどころか、後白河院に対して源九朗判官義経を討伐する院宣を手に入れたのでございます

源九朗判官義経は、九州地区には自分自身を慕う武士団が数多存在した為に九州地区で源頼朝と合戦する狼煙を挙げようと思ったのでございます。

この源九朗判官義経の陣には、叔父さんの源十郎蔵人行家や源志田扇状三郎などが付き従っていたのでございます。

しかし源九朗判官義経は、運を平氏打倒に使い過ぎたせいで運気が低下気味だったのでございます。

源九朗判官義経が船⛵を出すと突然変異に大風が吹き荒れたのでございます。

さすがの戦上手の源九朗判官義経も、九州地区に行く事を断念したのでございます。

そこで源九朗判官義経は、自分自身の家臣筋と静香御前を伴い奥州平泉の藤原家を頼ったのでございます。

そして富山県を通過していた時に、富樫と云う源頼朝から富山県守護職を拝命した武士が関所で検問をしていたのでございます。

この富樫と云う人物は、源九朗判官義経の陣に居て源平合戦を共の困難を経験した同士だったのでございます。

しかしながら現在は、源頼朝から富山県守護職に任命された武士でございます。

富樫の家臣筋は、源九朗判官義経の顔を見知る者が存在しなかったのでございます。

そこで富樫は、仕方無く源九朗判官義経一行を取り調べたのでございます。

そんな中に弁慶が、勧進帳をスラスラと読んでみせたのでございます。

当然の事でございます。

弁慶が読んでいた勧進帳は、皆弁慶の口からのデマカセだったのでございます。

しかし機転が効く弁慶がとっさに勧進帳を云ったのでございます。

そんな時に源九朗判官義経を怪しく思う富樫の家臣筋が存在したのでございます。

そして弁慶は、またまたとっさに主君筋源九朗判官義経を殴り倒したのでございます。

富樫の家臣筋も、疑いは晴れたと云って関所の通過を許可したのでございます。

弁慶は、源九朗判官義経の家臣筋の中でも1か2を争う主君筋思いの家臣筋でございます。

そこで弁慶は、源九朗判官義経を殴り倒した事を悔い改めて切腹しようとしたのでございます

すると源九朗判官義経は、弁慶に云ったのでございます。

情けない大将の下で働いた為に領地も与える事が出来ず源頼朝から逃げ回る境遇に追い詰めた大将を許してくれと云ったのでございます。

側に居た弁慶を中心に、この御大将の為ならば何時でも死ぬる事が出来ると思ったのでございます。