令和4年2月2日の事【5】

軍記物語の義経記では、源九朗判官義経の事は義理人情深い人物として描かれているのでございます。

しかし平家物語の源九朗判官義経は、舟の漕ぎ手【非戦闘員】を矢で討ち殺したりしたのでございます。

また屋島平氏が、源九朗判官義経を挑発したのでございます

舟に乗った平氏方の美しい女子が、扇を大きく揚げて矢で撃ち落とすようにと誘って来たのでございます。

源九朗判官義経は、後藤兵衛尉と云う武士を呼付けたのでございます。

この後藤兵衛尉と云う武士は、源氏方の武士の得意分野を熟知していたのでございます。

そこで後藤兵衛尉は、源九朗判官義経に云ったのでございます

那須郡の領主である那須与一と云う武士を推薦状を出したのでございます。

ところが那須与一は、一旦は今回の選抜を事態したのでございます。

しかし源九朗判官義経は、我の支持に従わないならば兄源頼朝の命令に従ない事と同じだと云って強引に従うように命令したのでございます。

そして那須与一は、見事に遠く離れた扇を撃ち落したのでございます。

こんな源九朗判官義経の一面を描きながら、屋島の合戦で奥州平泉から付き従っていた佐藤と云う武士が、平氏方で弓矢の強弓を引く武者の矢玉が源九朗判官義経に命中する寸前で佐藤が飛び出し矢玉を受けて死んだのでございます。

源九朗判官義経は、余りの悲しみの余りに平氏方との合戦を中断したのでございます。

そして近くの僧侶を探し出して佐藤兵衛の供養を頼んだのでございます。

その供養の布施として、源九朗判官義経が愛用していた名馬を僧侶に与えたのでございます。

この源九朗判官義経の家臣筋を慕う行動に対しては、皆が源九朗判官義経様の為ならば死ぬ事が出来ると云って号泣したのでございます。