令和4年4月4日の出来事🍀❤

朝筋トレは8割り方達成でございます。

朝入酸素は雨☔の為に3割り方達成でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経は百%達成でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞聖人に助けられている私自身でございます。南無阿弥陀仏

法然聖人に助けられている私自身でございます。南無阿弥陀仏

我が家の再興は間違い無しでございます。

我が事業のぷち成功は間違い無しでございます。


源頼朝と13人の仲間たちは、面白いでしょうかね。

源頼朝の祖父源為義は、左右衛門尉の官職を拝命していました

しかし源為義の先祖で伝説的な武将源八幡太郎義家が、前九年の役で奥羽国の大豪族清原氏を討伐する為に朝廷に陸奥守を所望した。

そして源八幡太郎義家は、関東地区の武士団と共に清原氏を討伐するべく陸奥守としての職責を果たしたのでございます。

そこで源為義に対して、朝廷では伊予守に就く事を打診した。

ところが源為義は、伊予守では無く陸奥守を所望したのでございます。

朝廷では、源氏を陸奥守に据えると縁起が悪いとして源為義陸奥守任官要求を却下した。

源為義は、先祖の陸奥守の意向が達成出来ないならば伊予守任官は必要性が無いとして左右衛門尉として一生涯通したのでございます。

その替わり在る野望を考えたのでした。

日本國には、66ヵ國が存在します。

そこで源為義は、66人の数多の子供を産み66ヵ國に国司として配置すれば源氏の世の中が来ると考えたのでございます。

そして源為義は、46人までは頑張って子供を産み出したのでございます。

そして源為義の孫に当たる源頼朝が、何と征夷大将軍に就任して諸国に守護職と地頭職の配置する事を朝廷に認めさせたのでした。

その源氏再興のきっかけを造り出したのが、北条政子であり北条一族だったのです。

北条政子は、流人生活の源頼朝と嵐の中を手と手を取り合いながら命懸けの逃避行をやって退けたのでした。

親北条時政も覚悟を決めて、北条家の家臣筋をかき集めて平氏方と合戦したのでございます

俗に云う石橋山の合戦でございます。

しかし北条家がかき集められた軍勢は50騎馬程度でございました。

北条家と云うのは、其れ程度の武士団でございます。

しかし娘北条政子の駆け落ちにより、北条家の運命が好転しました。

後々に源九朗判官義経源頼朝兄弟が仲違いした時に、源九朗判官義経主従は静香御前を伴い平泉町に逃げ込んだのでした。

しかしか弱い静香御前だけは、鎌倉幕府の武者に逮捕されてしまいました。

そして静香御前は、日本一の白拍子でございます。

源頼朝は、静香御前に対して踊りを披露する事を要求しました

すると静香御前は、鎌倉の御家人たちの前で源九朗判官義経を慕う舞を舞い切ったのでした。

源頼朝は、怒り狂いながら静香御前を討死果たすように命令しました。

ところが北条政子は、若い頃に源頼朝と手を取り合いながら駆け落ちした事を持出し静香御前の命を助けるように求めました

源頼朝は、北条家には恩義があり北条政子に対しても頭が上がらなったのでした。

静香御前の命は助かりました。

しかし静香御前の気持ちは晴れないのでした。

其れは源九朗判官義経が、源頼朝から討伐命令が出ているからでございました。

私自身も、好きな女子に振られてしまい立ち直れ無い状態が継続しています。

静香御前の気持ちが痛い程理解出来るのでございます。