平氏一門衆は、源木曽患者義仲に京都を追い出されたのでございます。
平氏一門衆は、安徳天皇陛下と内大臣兼務武官の最高職近衛府の右大将平宗盛を大将に九州地区に逃げ出したのでございます
そんな時に京都でさ、天皇陛下を選ぶ儀式が行われていたのでございます。
安徳天皇陛下の弟君は、次の弟君は皇太子にするとして平氏が連れ出していたのでございます
そして次と次の弟君が、後白河天皇陛下の面接試験を受けたのでございます。
3番目の弟君は、後白河天皇陛下が此方にいらっしゃいと云うと号泣したのでございます。
そして4番目の弟君は、後白河天皇陛下がいらっしゃいと云うと笑みを浮かべながら後白河天皇陛下の膝の上に乗り前世からの縁があるような親しみ在る対応を行ったのでございます。
後白河天皇陛下は感激したのでございます。
そこで4は目の弟君が、天皇陛下に御成りになられたのでございます。
この幼帝が、後に鎌倉幕府を滅ぼそうとした後鳥羽上皇陛下でございます。
しかし後鳥羽上皇陛下の勇ましい合戦では、時の鎌倉幕府の実力者北条右京大夫兼務相模守義時も、天皇陛下と合戦する事には二の足を踏んでいたのでございます。
その朝廷に対して弓矢を引く事に躊躇する鎌倉御家人に、やる気を起こさせた人物が北条政子でございます。
北条政子の大演説によりて、北条義時と他の御家人たちは後鳥羽上皇陛下との合戦を決意したのでございます。
鎌倉御家人たちは、暴力集団でございます。
鎌倉幕府の圧勝で事は終了したのでございます。