源頼朝は、平氏打倒の軍勢の総大将に弟である源範頼を大手の大将に据えました。
また搦手の総大将には、源範頼の弟である源判官義経を据えました。
源判官義経は、元々手柄を独り占めしたい気持ちがあり大将でありながら侍各のような気持を持ち合わせていたのでございます。
大体源判官義経に従っていた武士団には、小さな領主クラスが多く源判官義経と同じく手柄にはやる気持ちがあリました。
そこで源判官義経は、一の谷と云う崖地を真っ直ぐ平氏の陣に駆け落ちる戦法を取る事にしたのでございます。
しかし源判官義経に従っている武士団は、皆坂東地区の出身であり西日本の一の谷の地理などに詳しい者は皆無でした。
ところが平山武者所季重と云う武士が、源判官義経の面前に進み出て云いました。
私自身が、この一の谷の案内係となって真っ先に崖下の平氏の陣に案内しましょうと云った。
源判官義経は、云った。
お前は、武蔵国日野平山の出身ではないのか。
まぁ一度は京都に来て、武者所の役所で奉職した事はあるようだ。
しかし京都からも遠く離れている、この一の谷の地形を熟知しているとは考えられないと云った。
すると平山季重は、勇者と云う者は合戦場を一度拝見した途端に背景が頭の中に思い浮かべる事が出来るのでございますと云った。
この平山季重の言い分は、屁理屈を述べたものであるから聴いていた武士が笑った。
しかし平山季重を馬鹿にして笑ったわけでは無く、快く笑ったのでございます。
すると武蔵坊弁慶が、土地に住む老人を連れて来たのでございます。
源判官義経は、老人に聴いた。
この一の谷を馬🐎で平氏の陣に駆け落ちようと思っているがどうだと訪ねた。
すると老人は云った。
この一の谷と云う場所は、急勾配であり馬の扱いが上手い関東武者でも無理でございましょうと云った。
そして源判官義経は訪ねた。
では鹿などは一の谷を降りる事はないのか訪ねた。
すると鹿などは、春から夏場にかけて一の谷を降りる事がありますと答えた。
源判官義経は云った。
鹿が降りる事が出来て、馬が降りる事が出来ないなどは有り得ないぞと云った。
すると三浦介の一族で、和田小太郎と云う勇者が云った。
皆様見苦しいかな。我が和田一族は、朝晩このような崖っぷちで毎日狩りを楽しんでいるのだ
我々三浦介一族にとりては、一の谷などは庭先みたいな物であると云った。
そして和田一族は、馬を並べて一の谷を駆け落ちたのでございます。
和田一族も、口👄ではでかい態度な事を公言したが実際駆け落ちる時には余りの恐ろしさに目を閉じて駆け落ちたのでございます。