令和4年2月8日の事【2】

戦国武将として人気ランキング第1位の真田幸村の先祖は、海野氏と云う人物でございます。

海野氏も、源平合戦が始まると源頼朝の陣に参陣したのでございます。

源頼朝は、同じ源氏系統の足利家の人々を大切に可愛がっていたのでございます。

そこで有能と聴こえた海野を、足利家の侍大将として補佐するようにしたのでございます。

そして足利家の惣領家を総大将に指名して、平氏打倒の軍勢を与えたのでございます。

平氏は海での合戦を得意分野とする水軍の頭でございます。

そこで陸戦が得意分野である源氏系統を、海での合戦に誘き出したのでございます。

平氏方は、源氏方の武将に対して此方に来い此方に来いと招いたのでございます。

今回の合戦の総大将足利家の惣領家は、源頼朝から褒められたいが為に船合戦を実戦した経験が無いのに平氏方の挑発にまんまと乗ったのでございます。

信濃國出身者の侍大将海野氏も足利家の惣領家と同じく海上での合戦は初めてだったのでございます。

足利家惣領家と海野は、重い鎧兜を身に付けたままで小さい船に鎧兜武者が数多乗り込んだのでございます。

小さい船に鎧兜武者が数多乗り込んだ為に、船は転覆して何人もの犠牲者が続出したのでございます。

しかし総大将の足利家惣領家と海野氏は、辛うじて助け出されたのでございます。

この配慮に欠ける海野氏の傍流家が、真田家でございます。

我が家も本家筋では無く分家筋ではございます。