真田左衛門尉幸村の父親の事

真田家の先祖は、源平合戦にも登場する海野氏でございます。


この海野氏は、大将足利家の家臣筋として源平合戦に参加したのでございます。



しかし海野氏も足利家も、信濃国下野国の出身者でございます。



源頼朝は、源氏系統の足利家の人々を可愛がっていました。



そこで足利家の棟梁各を源氏の大将に抜擢したのでございます



感激した足利一門衆の人々は、平家に痛手を負わせようと小船⛵を調達したのでございます。



そして家臣筋の海野氏を侍大将に指名しました。



海野氏は、足利一門衆の人々に手柄を立てさする為に勇ましく小船に飛び乗ったのでございます。



ところが武者姿の武士が、一斉に小船に飛び乗ったので何と船が沈没してしまったのでございます。



この小船には、大将の足利一門衆の人々も勇ましく飛び乗っていました。



その小船が、何と平家一門衆が観ている前で転覆してしまったのでございます。



この侍大将の海野氏の子孫に、合戦上手の真田家が存在するのでございます。



真田家と云えば、2千騎の軍勢で五万騎の徳川家康の軍勢を蹴散らして信州から撤退させたのでございます。



其れも何と二度も、徳川家康の軍勢を退けたのでございます。



あの後醍醐天皇陛下に忠誠を誓った楠兵衛尉正成公も、小勢で大軍勢を退ける事に長けた武将でございます。



真田家の尊敬する人物は、あのゲリラ戦を得意分野とする楠兵衛尉正成公でございます。