令和4年2月2日の事【3】

私自身は、軍記物語の中では平家物語太平記が大大大好きでございます。

平家物語は、生え抜きの貴族を飛び超えて武家貴族【朝廷に奉職する警備隊長】が大政大臣従一位と云う最高職に就いたのでございます。

この繁盛した平氏系統が、やはり武家貴族階級の源頼朝に滅ぼされたのでございます。

諸行無常盛者必衰でございます

とにもかくにも滅びる事の美しさである、滅びの倫理観で貫き通されているのでございます。

一方で太平記に貫き通されている武家の倫理観は、室町時代は欲得付きの倫理観に人々の心は渦巻いていたのでございます。

あの武家が滅びると、あの土地が空くとかあの官職が空席状況になるのにと欲得だけの倫理観でございます。

そこで世の中では、合戦合戦合戦の真っ最中であり気持ちが落ち着く事がなかったのでございます。

だからこそ太平記の作者は、続々と兵乱が起きる世の中から太平の世の中になるように願い書を込めて太平記を執筆したのでございます。

室町幕府を創設した武家貴族足利治部太夫尊氏も、本来的には後醍醐天皇陛下や楠兵衛尉正成と合戦したくはなかったのでございます。

しかし足利治部太夫尊氏は、智慧豊富な高僧に云ったのでございます。

武家の棟梁は、大工の棟梁と同じような物でございます。

大工の棟梁も、数多の職人たちを束ねながら建築物を完成させて行くのでございます。

武家の棟梁も、諸国の武家を束ねながら政治を完成させる事が尊氏の勤めでございますと云ったのでございます。

私自身も、九州地区は佐賀の地頭職の子孫でございます。

武家としての自覚を持ち、御家再興&復興を目指す所存でございます。