令和4年2月2日の事【2】

筋肉トレーニング&体操は8割方は実践したのでございます

内容的には、3キログラムのダンベルの上下運動の実践でございます。

朝入酸素運動は0%でございます。

まだ寒いので、あと1時間後に1時間の散歩を実践する予定でございます。

朝我が家の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実践は100%でございます。

我が家の宗派浄土真宗本願寺派は、とにもかくにも南無阿弥陀仏を唱える事が修行でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

法然上人バンザイ🙌でございます。

我が家の再興&復興は確実でございます。

我が事業の急上昇気流に乗る事は確実でございます。

理由は簡単でございます。

平安時代から朝廷より、陰陽師博士の官職を拝命したのが阿部晴明でございます。

この阿部晴明の子孫が、陰陽師博士の官職を世襲したのでございます。

阿部晴明の家には、占い🔯のバイブルが数多存在したのでございます。

このバイブルが存在すれば、誰しも優れた占い師になれたのでございます。

私自身が、この阿部晴明の子孫の陰陽師博士に占って貰ったのでございます。

上杉家の執筆職直江兼続と云う武将が存在したのでございます

この直江兼続の妻は、主君筋の上杉家の親類縁者の姫君でございます。

詰まりは直江兼続の家よりも、妻の家格が上だったのでございます。

そこで直江兼続の妻は、鬼嫁であり直江兼続は苛められていたのでございます。

しかし上杉家の親類縁者でございます。

上品であり、美しい女子でございました。

だから直江兼続は、鬼嫁ではございますが妻を愛していたのでございます。

戦国時代には、合戦合戦合戦の毎日でございます。

そこで直江兼続は、自分自身の館に居る事が1年間の中でも少なかったのでございます。

鬼嫁は、主人様直江兼続に対して在る要求をしたのでございます。

その要求は、鎧兜の前立に愛の飾りを付ける事でございます。

戦国時代の武将の前立は、何とも勇ましい神仏や動物を素材にした前立を身に付けたのでございます。

其れが直江兼続の前立は、何と妻命と云う愛の前立でございます。

直江兼続は、戦国武将の中でも勇士であり戦略家でございました。

戦国武将たちは、直江兼続の愛の前立を観ると大笑いしたのでございます。

しかし直江兼続と合戦すると、皆が首を討ち捕られていたのでございます。

その後には、直江兼続と合戦場で会う武将は皆が逃げ回ったのでございます。

鬼嫁の尻に敷かれた直江兼続が出没したぞと云って逃げ回ったのでございます。

私自身が直江兼続だったならば好きだと云う前立を鎧兜に付けて妻にアピールしたはずでございます。

しかし我が先祖は、鎌倉御家人であり九州地区の肥前國佐賀の地頭職を拝命した家筋の子孫でございます。

自分自身で云いながら、恥ずかしいのでございます。

しかしながら九州男子は、合戦場では強いですが家庭では弱いのでございます。

いゃ九州地区の女子が、働き者であり意思が強いからでございます。

早く新妻が欲しいのでございます。