令和3年11月21日の事

1・朝筋肉トレーニング50%は達成しました。
やはり冬場は寒いのでございます。



2・朝入酸素運動40%は達成でございます。
今日の入酸素運動は、縄跳び30分でございます。



3・朝バナナ100%達成でございます。



4・朝南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。



5・我が先祖の再興&復興の事我が事業上昇気流に乗る事。




加賀国国主前田加賀守は、江戸時代では大大名の一人でございます。


この前田加賀守家の家老職の一人に、長氏と云う武将が存在するのでございます。



本来的には前田家は、尾張国の住人でございます。



この前田家が、織田上総介信長が世の中に出て行くに従い偉くなっていったのでございます。



そして豊臣秀吉が天下を掌握すると、加賀国を任せられて江戸時代には加賀国の国主に収まったのでございます。



ところが加賀国には、源平合戦の時代から源頼朝から加賀国に領地を頂いた武将が存在したのでございます。



その武将は、長谷部信連と云う衛門府に奉職するれっきとした朝廷の侍でございます。



この長谷部信連は、平家に討ち死された皇子様に奉職していた侍でございました。


長谷部信連は、自分一人で平家の武士と合戦して生捕りにされたのでございます。



しかし豪胆不敵であり、平清盛も首を刎ねるのは惜しいと云って加賀国に流し者で済ましたのでございます。



ところが平氏一門衆が源頼朝との合戦に破れて源頼朝鎌倉幕府を開いたのでございます。


源頼朝は、平清盛に対して合戦を挑んだ長谷部信連を探し出して能登国の地頭職に指名したのでございます。



この長谷部家は、戦国時代までも能登国加賀国に勢力圏を維持していたのでございます。



そこで加賀国に入府した前田家も、長谷部家を無視する事が出来ず前田家の家老職に指名したのでございます。



こうして長谷部家は、縁もゆかりも無い長谷部家を家老職に指名したのでございます。



長谷部家は、長氏と云うのでございます。



丁度藤原氏の事を、藤と云うようにでございます。