令和4年1月5日の事【2】

朝台湾バナナ100%は達成でございます。

確かに台湾バナナ🍌を食べたのでございます。

昼間筋肉トレーニング&体操80%は達成でございます。

その根拠は、12キロメートル歩いたからでございます。

昼間入酸素運動80%は達成でございます。

その根拠は、12キロメートル歩いて来ました。

我が先祖の宗派浄土真宗本願寺派の読経の実行でございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。

親鸞先生バンザイ🙌でございます。

我が事業の急上昇気流カーブ間違い無しでございます。

その根拠は、屋号を&陰陽師博士に占って貰ったからでございます。

源頼朝は流人生活者でございます。

平清盛は、伊豆国の地主であり坂東平氏の流れを汲み余り有力者では無い北条時政に監視員を命じたのでございます。

余り有力者では、源氏の嫡流源頼朝を担いで謀反を企てる恐怖感が存在したからでございます。

東武者の大半は、教養が無く合戦だけが強い武士ばかりでございます。

だから今回の大河ドラマは、源頼朝を支える13人のならず者たち【街のあんちゃん連中】はどうでしょうか?

戦国時代にも、豊臣秀吉が小田原北条家を攻め立てたのでございます。

そして小田原北条家の配下筋で名家の成田氏が、忍城を総大将石田三成に引き渡す事で納得していたのでございます。

ところが石田三成に付き従っていた長束正家と云う武将の余りにも横暴な態度に成田正親は憤慨したのでございます。

この長束正家と云う武将は、下には強く上には弱く対応する事で有名人でございました。

すると下手に出ていた忍城の武士たちは、総大将に云うのでございます。

西国の武将殿に申し上げます。

今考え方が変わりました。

東武者の槍の味を得と味あわれよと云ったのでございます。

そして20万騎馬の石田三成の大軍に対して、忍城の軍勢は5百騎馬程度でございます。

しかし小田原北条家が、豊臣秀吉に屈服したのに忍城石田三成の軍勢と互角に合戦を継続中でございました。

関東地区の武士団の合戦は、勝てば何でもありの戦法でございます。

一方西国地区の武士団は、京都に近い事もあり合戦スタイルはドライで無いのでございます。

要するに西国の武士団は、合戦スタイルのエチケットを重視するのでございます。

一方坂東武者の戦法は、勝つ為には民家を焼き払おうが家臣筋が負けそうだろが助ける事もしないのでございます。

そして小田原北条家の配下の城で、合戦中敗北しなかった城は忍城だけでございました。

この成田氏は、あの上杉謙信忍城を攻め込んだ時に下馬する事も無く上杉謙信に挨拶したので虐め抜かれたのでございます

そこで上杉謙信から、小田原北条家の家臣筋に鞍替えしたのでございます。