令和4年1月5日の事【1】

今年の大河ドラマは、武者の世の中が到来した鎌倉の右大臣兼武官の最高職務右大将源頼朝を素材にしたドラマが開始されるのでございます。

そして主人公は、北条義時でございます。

大体伊豆国の有力者は、伊東氏の系統の工藤や狩野氏でございます。

北条家が招集出来る軍勢は、百騎馬程度でありその程度の武士でございます。

しかし北条時政は、小豪族にしては相模国の三浦介や下総国の千葉介などの有力者との付き合いがあったのでございます。

一様は北条家は、桓武天皇の子孫を名乗ってはいますが家系図も出鱈目であり地主階級でございます。

因みに我が先祖は、れっきとした下級貴族でございます。

下級貴族の中でも、武官の下級貴族でございます。

武官の下級貴族階級だったから鎌倉の御家人の身分に移行する事が容易だったのでございます

余り有力者では無い北条家ではございましたが、運命が開けたのは娘北条政子が源氏系統の御曹司と伊豆神社に駈落ちしたからでございます。

私自身も、運命が開けるならば女子と駈落ちしたいのでございます。

そして平清盛の政治が、公卿や朝廷を蔑ろにして武士階級の要望も無視するようになってしまったのでございます。

関東地区は、土地争いが数多存在したのでございます。

そこで近隣住民同士が、武装して合戦ばかりしていたのでございます。

北条時政は、付き合いが広かった為に近隣住民の争い事の仲裁を頼まれていたのでございます

そして平氏の横暴が頂点に来た時に、源頼朝は兵を動かしたのでございます。

其れも中心は北条時政の軍勢であり何百騎馬程度でございます

源頼朝は敗北して、伊豆国の対岸の上総国に逃げ込んだのでございます。

上総国の有力者上総介は、5万騎馬の軍勢で源頼朝の軍勢を出迎えたのでございます。

源頼朝の軍勢は、10騎馬程度でございます。

上総介は、源氏系統の大将源頼朝に対して馬下する事も無く挨拶したのでございます。

すると源頼朝は、上総介5万騎馬の軍勢を叱り付けたのでございます。

この行為に対して上総介は、考え方を改めて源頼朝に名刺入れを渡して家臣筋になったのでございます。

そして源頼朝の軍勢は、関東地区を廻り拠点の鎌倉に入府したのでございます。

この時の軍勢は、何と20万騎馬に膨れ上がっていたのでございます。

しかし源氏系統の征夷大将軍💟は、3代で終焉したのでございます。

そして後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を倒産させようとした時に何と北条政子後鳥羽上皇との合戦を支持したのでございます。

そして北条家は、他の御家人たちを暗殺&毒殺&騙し討ちなどの手段で滅ぼしたのでございます。

残った有力者は、何と北条家だけでございます。

そこで公卿出身者の将軍や親王出身者の将軍を補佐する名目で得宗家北条を設けたのでございます。

しかし他の御家人たちと同じように、官職は相模守兼務四位下以上の位は望む事は無く神妙に奉職していたのでございます。