令和3年11月20日の事

1・昼間筋肉トレーニングは30%実行する事。
やはり我が館を抜け出して、都会的な地域(茂原市)に行く時には朝2時に出かけるのでございます。
そこで疲れ果てて、昼間筋肉トレーニングを蔑ろにしたのでございます。



2・昼間入酸素運動40%は実行する事。
一様は入酸素運動は、1時間ほど散歩したのでございます。



3昼間バナナは100%実行したのでございます。



4・昼間学習0%です。
何でか学習する本をカバンに入れる事を忘れてしまったのでございます。



4・昼間南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・現世利益和讃。



5・我が先祖の復興&再興の事
我が事業上昇気流に乗る事。
我が身と車中泊&キャンプ&登山に行く新妻の事。




あの戦国武将第1位の北条早雲伊勢新九郎)も、何と50歳を過ぎた頃に新妻&息子&伊豆国の国主の地位を得る事に成功した人物でございます。



我々大器晩成型の手本とするに相応しい武将ではございませんか。


伊勢氏は、足利家の代々の執事職でございます。


伊勢新九郎も、岡山県に領地を頂き室町幕府の取り次衆の一人として働いていたのでございます。



ところが細川勝元山名宗全が西と東に分かれて京都の真ん中で各地の守護職大名が合戦を繰り広げたのでございます。



伊勢新九郎は、各地の守護職大名と将軍職の取り次衆でございます。



京都に各地の守護職大名が出張って来ている為に伊勢新九郎の職務が無くなってしまったのでございます。



伊勢新九郎は、高野山に入り出家して隠遁生活を送っていたのでございます。



ところが20年後の事でございます。


何と伊勢新九郎は、伊豆国の関東地区の足利将軍家🏡に繋る武将を討果したのでございます。



そこで伊豆国の法律を整備した結果、戦国武将第一の人物と云われているのでございます。



伊勢新九郎は、大器晩成型の憧れの的でございます。