令和4年2月2日の事【1】

源頼朝と13人の仲間たちで出て来ると予想する人物が数多存在するのでございます。

その中で私自身が、第1位の人物として推薦状を発行したい武士が斎藤別当実盛と云う武将でございます。

この斎藤別当実盛は、保元ノ合戦&平治の乱では源氏方の武将として勲功を打ち立てた勇士でございます。

ところが源氏系統は敗北して、平清盛系統の家筋が栄えたのでございます。

斎藤別当実盛は、源氏系統の武者らしく自害しようとした時に平清盛が我が平家に奉公するようにと懇願されたのでございます。

斎藤別当実盛は、坂東武者でございます。

平清盛の誘いを潔しよしとは思いませんでした。


しかし平清盛の誠実な懇願に対して心を動かされたのでございます。

斎藤別当実盛は心に決めたのでございます。

今後の人生は、平氏一門衆の人々の為に命懸けて働こうと思ったのでございます。

そして斎藤別当実盛は、関東地区に数多の領地を平氏に頂く事が出来たのでございます。

ところが平清盛の政治運営が、公卿にも武家からも反感をかう事になったのでございます。

そんな中で、関東地区の武士団を束ねた武家貴族の源頼朝の勢力圏は侮れない武力行使集団に発展したのでございます。

平氏系統は、関東地区の源頼朝を討伐する為に派遣したのでございます。

斎藤別当実盛は、老武者ではございますが派遣軍に応募したのでございます。

当然の事でございます。

老武者とは云え、歴戦の勇士でございます。

直ぐに派遣軍の武家の一員として採用されたのでございます。

斎藤別当実盛は、出陣するに際して考えたのでございます。

合戦に参加出来たならば、坂東武者の中でも強い武士と合戦したいものである。

しかしながら老武者である自分自身が、若い武者と合戦するのは老武者だと云って侮られる。

一方で若武者と張り合って強い武士と合戦するのも残念な事であるぞと思ったのでございます

そこで考え出した方策が、白髪を炭で染めて若作りをして合戦場に参加する事でございます。

斎藤別当実盛の策は、まんまと成功したのでございます。

諏訪大社神職の家筋の武家で手塚と云う武将と遭遇したのでございます。

手塚と云う武将は、関東地区でも聴こえた勇士でございます。

斎藤別当実盛も勇士でございます。

しかしながら若武者と、老練な斎藤別当実盛との合戦は手塚の勝利に終わったのでございます

手塚は、斎藤別当実盛に名前を教えて頂きたいものだと云ったのでございます。

しかし名乗りをすると斎藤別当実盛であるとバレてしまうのでございます。

そこで名乗る事を拒み、手塚と合戦したのでございます。

斎藤別当実盛は、今回の合戦を最後の死場所と思い大将各が着用する錦直垂を着て参陣したのでございます。