令和4年1月25日の事【1】

伊勢新九郎盛時と云う人物は、足利将軍家執事職を歴任する一族の子弟でございます。

足利将軍家執事職には、もう1人高家と云う人物が存在するのでございます。

伊勢家は、あの伊勢國や伊賀國を地盤にして勢力圏を拡大した平清盛の先祖が代々受領【国司】に指名された家筋の人でございます。

ところが伊勢新九郎の先祖は、一門衆の平氏系統から源氏系統の足利家に奉公したのでございます。

平氏は、武家貴族階級の家筋でございます。

足利家も、源氏系統であり武家貴族階級でございます。

しかし足利家は、関東地区は下野國に領地を数多所有していたのでございます。

そこで足利家の家臣筋は、坂東武者で数多を占めていたのでございます。

東武者は、関東地区の地主階級の家筋でございます。

余り京都の文化や教養に乏しく合戦する事と領地の拡大に興味津々でございました。

そこで足利家では、武家貴族の伊勢家の存在は必須アイテムでございます。

一方で足利家執事職高家は、先祖は高階氏と云う公家出身者ではございますが坂東地区に根を張り現在は坂東武者の鏡のような存在でございます。

そんな時に足利尊氏と云う人物が出現し、何と鎌倉幕府を倒し室町幕府を創設したのでございます。

高家は、武闘派の纏め役として軍事集団の隊長を歴任したのでございます。

また足利家の最重要拠点である武蔵國の守を拝命したのでございます。

一方で伊勢家は、京都に在中して足利将軍家申し次衆として各地域の守護職大名と足利将軍家との取次を担ったのでございます。

何時も取次衆とか蔵預りの職を拝命する者には、権力&情報が集中するのでございます。

伊勢家も、各地域の守護職大名の情報を入手する事が出来たので駿河國の守護職大名今川家に姫君を嫁がせたのでございます

そんな時に管領家細川氏四職の山名氏が合戦を始めたのでございます。

其れも京都のマン真ん中の地域でございます。

日本国の守護職大名は、山名氏方と細川氏方に分かれて11年間もダラダラと合戦したのでございます。

その時伊勢新九郎は、足利将軍家申し次衆の職を拝命していたのでございます。

合戦の合間には、各地域の守護職大名の意見書を足利将軍様に報告する必要性が存在したのでございます。

伊勢新九郎は、余りの忙しさにノイローゼ気味となり突如として室町御所から居なくなってしまったのでございます。

その後は栄西が開いた臨済宗の寺に入り僧侶になったのでございます。

そんな禅宗の修行中に、姉様の嫁ぎ先駿河國の今川家から助けて下さいと云う手紙が来たのでございます。

伊勢新九郎は、禅寺を出て駿河國に行く事になったのでございます。

そして姉様の嫁ぎ先駿河國の相続問題を処理した後は、隣国伊豆國を乗っ取り作戦に着手したのでございます。